SATURDAY NIGHT FEVER
眠らない街、新宿。
TOKYO LIFE STORY❷ 

2020年10月6日TOKYO LIFE STORY

☆NEW YORK NEW YORK 画像の様に週末は超満員だった。
東京で妻と出会う直前までは、会社の仲間と月一で新宿のディスコに行っていた。1980年代の初頭~中頃、新宿には多数のディスコが存在していた。お立ち台で有名になったジュリアナ東京が誕生する7、8年ほど前である。仕事仲間とディスコに行く時は、新宿駅のデパートで待ち合わせた。新宿には小田急と京王、大きなデパートが二つある。ここで洋服を物色してから行くのが慣例だった。
☆ミラノボウル 私が通った時代の外観はグリーンだった。
真冬にミニスカ、ニーハイブーツ 。大胆過ぎる女の子が多かった。
雪が散らつく真冬のある日、仲間とディスコに行った時の事。待ち合わせた京王百貨店の中で私達の前を歩いていた二人組の女の子を見かけた。一人は白いセーターに同色のミニスカート、後ろにスリットの入った白のニーハイブーツ 。もう一人も同じコーディネートでこちらは黒だった。店内とはいえ、冬の寒さの中で、この大胆な服装には驚いた。仲間と顔を見合わせて呟いた。寒く無いのかな?当時の新宿ではこんなファッションを身に纏った女の子を度々見かけた。上りのエスカレーターに乗った時、彼女達が私達の少し前方に乗っており、スカートの中が見えてしまうのではないかと目のやり場に困った覚えがある。デパートで時間を潰した後は、歌舞伎町のミラノボウルでボウリングを楽しみ、最後にNEW YORK NEW YORKで深夜まで踊るのがお決まりだった。
☆XENON(ゼノン) NEW YORK NEW YORKと人気を二分していた。
☆5階にツバキハウスがあった。
☆コマ劇場 外観色から当時の画像と思われる。
ファッション誌から抜け出た様なおしゃれな娘が大勢いた。
NEW YORK NEW YORKは歌舞伎町のジョイパックビル4階に存在していた。この辺りは、映画館やボウリング場、ゲームセンターなどがひしめいていた。北島三郎や細川たかしなど、演歌系歌手のショーや舞台公演などが行われていたコマ劇場もこの付近にあった。言ってみれば街の全てがエンターテイメントだった。新宿には様々なディスコがあったが、私が最も行ったのがNEW YORK NEW YORKである。ここは床面積が大きくて、踊りやすいのが最大の特長。週末になると、いつ訪れても超満員だった。後に聞いた話では、土曜日は3000人が入場していたらしい。店の入り口には黒服と、入場待ちの女の子で溢れていた。思い思いの服装の男女。当時の私の服装は、冬はフライトジャケットに黒のパンツ、足元は茶のブーツ。夏は南国の花がプリントされた半袖シャツに白いパンツ。トリコロールカラーのデッキシューズだった。店内にはファッション雑誌から抜け出た様なおしゃれな娘が大勢いた。サーファーやハマトラ、60年代の映画の様なファッションを纏った娘もいた。まだ少数だったが、ワンレンボディコンの女の子もいた覚えもある。入店後に席を離れたりすると、他人が座っている事も度々あった。それくらい満員で大盛況だった。入場料金は女性が1,500円、男性が2,000円ほどだったと記憶している。食事は焼きそばやピラフ、ピザやフライドポテトなど、無国籍な軽食だが全て食べ放題。フルーツゼリーや小さなケーキなども用意されていた。飲み物はソフトドリンクの他にアルコールも無料で提供されていた。NEW YORK NEW YORK以外は、XENON(ゼノン)、歌手のアンルイスが通っていたツバキハウスにも行った。
ナンパなどしなかったし興味も無かった。
ディスコ=ナンパの巣窟と揶揄された時期もあったが、私達は純粋に踊る為に行っていたので、ナンパなどしなかった。また興味も無かった。それでも、偶に女の子の方からアピールしてくる子もいて、気恥ずかしかった覚えもある。見かけによらず、うぶだったのだ。満員のフロアで数時間踊ると疲れてしまい、まっすぐ家に帰った。新宿から池袋まで山手線で移動。池袋駅前にあった深夜喫茶の伯爵で朝まで時間を潰していた。この後、東武東上線の始発電車でアパートに帰るのだが、仕事が詰まっている時は、数時間仮眠した後に会社に戻るという滅茶苦茶な生活だった。あの頃はそれでも楽しかった。若いからこそできた事。
今何が流行っているのかが分かる。それもディスコの楽しみ方。
ディスコの選曲はDJの腕の見せどころ。NEW YORK NEW YORKは様々なジャンルからセレクトされていた。ヘビメタ、ロックやダンスミュージックはもちろんのこと、テクノやバラードも流れていた。一日いると、今何が流行っているのかが分かる。それもディスコの楽しみだった。一つだけ残念に思った事はチークタイムで踊る相手がいなかった事。当時ディスコに誘いたいと思っていた好きな娘はいたのだが、チャラい男と思われるのが嫌で誘わなかったというのが本音。
東京のディスコのピークは1984年。
1985年の改正風営法施行で、ディスコの営業時間は夜12時までとなった。その後何がどう変わったのかを知りたくて、仕事仲間と一度だけ行ったことがある。夜の12時を回った瞬間に音楽がストップ。その場が一気にしらけた。冷めた雰囲気を取り繕うと、DJが状況を説明していたが、私には逆効果に感じた。照明も明るくなり、入場者は退出を余儀なくされた。店を出た大勢の男女は、新宿駅を目指して歩いた。改正風営法の施行は予想以上に大きいと感じた。これにより、都内のディスコは大打撃を受けて、その後徐々に衰退していった。そして私達も再び訪れる事は無かった。あの熱気と興奮は夢だったのだろうか。当時存在していたコマ劇場、ミラノボウル、NEW YORK NEW YORK、XENON、全て現存していない。衰退と再開発の繰り返しこそが眠らない街、新宿の宿命なのだ。
東京のカルチャーを良いとこ取りした形で8年の東京生活を終えた。
1988年12月、8年間の東京生活にピリオドを打ち、名古屋に戻った。その2年後の5月に妻と結婚。言ってみれば、結婚の直前に昭和が終わったのだ。振り返って思うことは、東京で暮らして良かったに尽きる。両親が背中を押してくれ無ければ、決してできなかったであろう。東京のカルチャーを良いとこ取りした形で終えられたことには唯々感謝しか無い。
★新宿のディスコで最も思い出す曲といえばこの2曲

☆ Look Of Love/ABC(1982)
1980年代、ロンドンで派生したニューロマンティクスと呼ばれる
音楽ジャンルで、ディスコに行くと必ずかかっていた曲。
https://www.youtube.com/watch?v=AXQxdyzDdj8

☆Can’t Take My Eyes Off Of You/Boys Town Gang (1982)
邦題は「君の瞳に恋してる」
この曲名を聞いただけでピンと来る人はディスコに行った人だと思う。
オリジナルは、1967年にリリースされたフランキー・ヴァリだが、
このディスコバージョンは日本でも大ヒットした。
今でもこの曲を聴くと、自然と体が動いてしまう。
https://www.youtube.com/watch?v=S-pakyYbQBs

☆イラストレーション:ケロール星人F1号

2020年10月6日TOKYO LIFE STORY