地上げだョ全員集合!TOKYO LIFE STORY❹
2020年10月6日TOKYO LIFE STORY
グラフィックデザイナーを目指して上京後、初めて住んだアパートは、6畳一間でお風呂も無かった。末広荘という陳腐な名前の古びたアパート。不動産屋の仲介であったが、川崎に暮らす老夫婦が大家さんであった。見るからに年老いていたので、こんな人で大丈夫かとも思ったが、アパート近所に住む人に管理委託されていたので入居を決めた。しかしながら、後にこれが原因で大問題を引き起こす事になるなど全く想像をしていなかった。
都内のデザイン会社に就職して2年目、いつもの様に疲れて帰宅した際、アパート前の住人から声をかけられた。「中川さん、最近この辺りのアパートが次々に地上げされているから気を付けなさい」「この先トラブルに巻き込まれたら弁護士を紹介するから」と言われた。私が住んでいた末広荘は、私と下の階に住んでいた友人を含む3人が社会人、それ以外の5人は全て大学生だった。親の仕送りで生活している学生が立ち退きに巻き込まれて、無一文で放り出されたら大変な事になる。直ぐに下の階の友人と相談して今後の対策を考えた。二人とも仕事をしていたので今後どうなるのかと不安もあったが、いざとなれば弁護士に依頼しようという結論に至った。ところが予想以上に早くその時が訪れた。最初に大家さんから手紙が届いた。訳あってアパートを手放す事になりました。今後は◯◯に管理を委託します。ウワサは本当だったのかと思った。平日だったが、紹介された弁護士さんの事務所に電話して面会を申し込んだ。と同時に大家に電話して真相を追求した。
借地権を持っていただけの大家だったとは。
大家さんに電話して初めて知った事があった。大家=アパートの持ち主ではあるが、借地権を持っていただけだった。要するに土地の持ち主では無かったのだ。その後更に追求していくと、色々な事が分かった。土地の所有者が亡くなり、その家族が莫大な相続税を支払う事になったらしい。ところが財力が無いので土地を処分せざるを得なかったのだ。となると、大家が末広荘を残したいと思った場合、土地を購入するしか方法は無い。資力のない大家はアパートの経営から手を引くしか無かったのだ。その時は黙って説明を聞いていたが、あまりの無責任さに腹が立ってしまった。その翌日深夜、再び大家に電話をかけて文句を言った。「中川さん、何ですかこんな夜中に」「アンタ、よく聞けよ。ここの住人は殆ど学生だぞ。彼らは立ち退きを防ぐ術もなければ知識も無い。無責任にも程がある、ふざけるな!」一気にまくし立てた覚えがある。帰ってきた答えは一言だった。「私達には資力が無いのでどうにもできないのです」受話器を叩きつけて電話を切った。
悪徳不動産屋の陰湿な嫌がらせと格闘した。
翌日の夜、アパートの住人全員を集めて、現在の状況を説明した。このままでは何も得ないまま住むところを失ってしまうよ。私達は弁護士に委任するが、君たちも希望するならば一緒に依頼してあげるよと話した。もちろん無報酬で引き受けるよと伝えた。案の定その場で全員が委任を希望してきた。そして翌日から地上げ屋と格闘の日々が始まったのだ。今更ではあるが、この話はあまり思い出したく無い事ではある。当時調べたところ、相手先は悪徳不動産屋と分かった。そしてその日以降、直ぐに嫌がらせが始まった。平日の午後、隣の部屋の壁の内側からドリルで穴を開けてきたのだ。命の危険などは一切感じなかったが、陰湿な嫌がらせだったので唯々疲れた。そして耐え忍んだ。下手に手を挙げればこちらが不利になるくらいは分かっていたからだ。その結果、以降毎日の様に弁護士事務所に通った。今だから言うが、弁護士さんとの会合については、私と友人のどちらかで対応すると決めていたのだが、弁護士さんは私としか会ってくれないと友人から聞いた。友人は引っ込み思案だったので、頼りにならないと思ったのかも知れない。いずれにせよ、自分の役目は日に日に増えていったが、解決のためには逃げる訳にいかなかった。また本件については、親にも会社にも一切話さなかったので孤軍奮闘する羽目になった。その理由は、一重に心配をかけたり同情されたく無かったからだ。時に不動産屋に乗り込んで暴れてやろうかと思ったこともあったが、これも自分の役回りだとひたすら我慢した。ただ日々仕事をこなしながら弁護士事務所に通うことは心底疲れた。この時が東京生活で最も苦労した時であったと思う。
騒動が終わった後、心機一転、妻と同棲を始めた。
弁護士さんに委任して数ヶ月後、相手先と話がまとまったと連絡があった。アパートの住人全員の引越し費用を、相手先に支払わせる事で立ち退きを了承する書面に押印した。日々の仕事疲れに加えて立ち退き騒動のまとめ役を務めて以降、正直に泣きたい時も度々あった。ただひたすら耐えて困難を乗り切った。しかしながらその事で自分が成長し、打たれ強くなったのだろう。数週間後、相手先から得た全員の引越し費用から弁護士費用を差し引いて、アパートの住人全員に手渡した。一人一人と握手をして「みんな元気でな」と言って別れた記憶も鮮明に残っている。その時は全員がありがとうございましたと言って頭を下げてくれた。そして数日後、弁護士さんにお礼を述べて全てが終わった。数週間後、板橋区の新築マンションと契約を交わした。そして自分も荷物をまとめて引っ越した。これを機に心機一転、妻と同棲を始めた。今振り返っても、私の東京生活は様々な苦悩があったが、周りの人に助けられた事で乗り越えてきた。人は所詮独りでは何もできない。色々な人との出会いにより、知恵や幸運を授かり生きる術を学んでいくのだ。そして私は今もそれが続いている。人生で巡り合った全ての人に感謝している。これまでも、これからも。性別や年齢を問わず、出会いを大切にするのが私に与えられた天命なのだ。
★1984年の思い出深い洋楽
☆Jump/Van Halen
印象的なイントロから始まる誰もが耳にしたことがある曲だろう。
ギターとキーボードを担当したエディとドラムスのアレックスは実の兄弟。
絶頂期の1985年以降は、メンバー間の不仲で脱退と加入の繰り返し。
その後エディの体調不良もあり、2015年を最後にバンドは活動停止している。
https://www.youtube.com/watch?v=SwYN7mTi6HM
☆Thriller/Michael Jackson(Shortened Version)
今更説明不要。既に彼が亡くなっているなど信じられない。
しかしながら彼のKING OF POPという称号には違和感を感じる。
それはビートルズだろっての。
https://www.youtube.com/watch?v=4V90AmXnguw
2020年10月6日TOKYO LIFE STORY