お空はそんな色ですか?
習い事あれこれ。

2020年11月26日LIFE STYLE, VARIETY

幼少期から色々な習い事を経験した。お絵描き、クラシックピアノ、書道、そろばん、いずれも努力はしたものの、いかんせん抜きに出たものがない。中途半端なまま初老のおじさんになりつつある。今回は習い事と才能について綴ってみたい。私が最初に習った事はお絵描きである。幼稚園か小学校低学年の頃だった。旧実家近くに存在していた保育園の校舎を利用したお絵描き教室であった。自分がなぜそこに通っていたのか、その理由は思い出せないが一つだけはっきり覚えていることがある。先生が破天荒なキャラクターな人であった。大声で笑い、面白い話を披露してくださる愉快な先生であった。ところがこの教室で学んだことがきっかけで、後に私の心が傷ついてしまった事があった。
小学校の図画工作の時間。その日は学校近くの公園で写生したと記憶している。一通り描き終えて先生に見せた時に言われた一言。「お空はそんな色ですか?違うでしょ。お空の色は青色です」こんな事を言われた記憶がある。残念ながら、描いた絵が現存しないので、詳しい事は分からない。後に母から聞いた話しによると、私が描いた絵の空は黄色に塗られていたそうである。空が黄色。その先生は、この子は頭がおかしいと思ったのではないだろうか。(バニラスカイだよ。いいじゃねえか)その時の私は、先生の考えに納得いかず、渋々水色に塗り変えて修正したらしい。その話を母から聞いたときは、他人と同じ事をするのが大嫌いな自分らしいなぁと思ってしまった。決してその先生のせいにするつもりはないが、その結果、私は普通の価値観を持つ子供になってしまったのだ。
その出来事に反感を抱き続けていた事が、私の絵心に火をつけてしまったのかもしれない。中学生になって以降、私の水彩画の出来栄えは群を抜いていたと思う。夏休みのことだった。妹が描いた写生画を家の中で見つけた。公園の情景が描かれていた。夏休みの課題で提出するのだろうと思った。あまりにも下手くそだと思い、その場で加筆修正してしまった。木々には青々とした葉を描いた。流れる川の中には鯉を描き、花壇の花には表情を加えた。夕食後、母がその絵を見て驚きの声を上げた。「ちょっと章、◯◯子が描いた絵に手を加えたでしょ」「だって余りにも下手くそだからさ」「これもうすぐ提出するのよ。先生にバレたらどうするの」「その時はオレが描きましたと言ってやるよ」母は心配性で、学校にバレた時どうしたらいいものかと本気で悩んでいたらしい。その数週間後のこと。妹が学校から帰ってきて母に告げた、お兄ちゃんが直してくれた絵が賞を取っちゃった。「ウソでしょ。章どうするの!」「よかったじゃん。やっぱオレ絵描くの上手いわ」そんなやりとりを見て、いつも笑っていたのが父だった。
こんな事もあった。県立高校に進学後、月曜日の朝礼だった。グラウンドに全員が集まっていた。今から名前を呼ばれた人は前に出てきなさい。周りの生徒がざわつき始める。その時の私は、◯◯高の生徒が、タバコを吸っていたとかで、近隣住民から告げ口でもされたのだろうと思っていた。オレはそんな事しないから関係ないもんと思っていた矢先、中川 章と自分の名前を呼ばれてしまった。お前、タバコ吸ったのか?親しい友人が小声で耳打ちしてきた。んなワケないだろと思いながら前に出て並んだ。(実際のところ高校時代にタバコを吸った事は一度も無かった)十数人が整列する中、一人の先生が話し始めた。今から賞状を授与します。何のことやらさっぱり分からずのまま、賞状をいただいて元の場所に戻った。後に分かったことだが、学校が美術の先生が推薦した中から数名を選び、授業で制作した作品を県の美術コンクールに応募していたらしい。その時、選出された生徒には、コンクールへの応募は一切知らされていなかったのだ。応募された作品はこの様な課題であったと思う。画数10画程度で三文字の言葉を作り、明度、彩度、色相の違いを表現せよ。色については元々知識があったので、いい出来栄えの課題であったのだろう。その後、実家は別な地に移って新築された為、この時の作品も賞状も現存していない。
お絵かきの次に習ったのがクラシックピアノである。恐らく母の考えで習わせたのだろう。嫌がる私をピアノ教室に通わせる為か、レッスンが終わる度に近くの玩具屋さんでおもちゃを買ってもらった記憶がある。ブリキの盤面を走るゼンマイ仕掛けの電車のおもちゃ。電池が内蔵されたウルトラセブンのおもちゃなども買ってもらった記憶がある。なぜそんな出費までして親は習い事をさせようと思うのだろうか。

自分から習いたいと思わない限りやる気など出るものでは無い。私はタイトル下のピアノの発表会に出た記憶すら無い。書道とソロバンも同様である。嫌々通っていただけである。その一方、独学でそこそこ上手くなったものがベースとドラムスの演奏であろうか。いずれも高校時代、ビートルズに夢中になり、ロックバンドを作ったことがきっかけである。ベースはポール・マッカートニーに憧れて、指先に大きな水膨れができるほど毎日のように練習していた。ドラムスは、社会人になって以降参加したロックバンドのメンバーにできる人がおらず、私がベースと兼任で担当していた。ご存知のように、ドラムスは両手両足の動きが全く異なる。それに加えてリズム感という要素も必要である。極論かもしれないが、ドラムスは、習えば誰でも出来るとは言えない。むしろ、生まれ持っての才能がある人しかできないと言えるかもしれない。できない人には何回教えても出来ない。両手の動きが同じになってしまい壊れたロボットのようになってしまう。
もし今から習い事を始めるのであれば、迷わず英会話とポピュラーピアノと答えるであろう。英語は昔から大好きで、気力さえあれば、今から習っても、そこそこ話せるようになるかもしれない。私は海外の通販で度々商品を購入している。その際、何か質問したい時はカスタマーサポートに積極的にメールを出すことにしている。自分で構文して英語のメールを交わしているうちに友人ができる場合もある。先日も英国のサイトで衣料品を購入した際、急遽サイズ変更の必要が生じてメールを出した。それを対応してしてくれた担当者のリュシーさん(フランス系の女性名)からメールが届いた。Hi Akira〜の始まりで記述されていた。やはり英語は面白い。何よりも知識に幅が出て毎日が楽しくなる。ポピュラーピアノは最初から勉強し直してバンドを復活させたいと思うからだ。だがもう歳だし、根気も続かないだろう。それは来世のお楽しみに取っておこう。もう一度生まれてこられたらの話ですが。

2020年11月26日LIFE STYLE, VARIETY