星影の志村さんと 『エール』が残したもの
ここ数ヶ月、妻が度々私に聞いてくることがある。「ねぇ、志村ってホントに死んだの?」「ああ、そうだよ」「マジで死んだの‥」「もういないよ」妻が言いたい事は分かっている。未だに現実を受け入れる事ができないのだろう。でもそれは私も同じ。3月29日、志村けんさん死去のテロップを見て以来、落胆と受け入れ難いもどかしさ。告別式のニュース報道もなければ、しみじみと想うお別れの機会すら与えられない悔しさ。志村さんが出演していた追悼番組を見るのも切なくて辛い。そして志村さんが出演して大きな話題となった、NHKの連続テレビドラマ『エール』も一昨日に最終回を迎えた。
志村さんが亡くなった翌日から放送がスタートした『エール』
『エール』は、志村さんが出演すると聞いて見始めたものだが、志村さんが亡くなった翌日から放送開始となった事も不思議な因縁を感じざるを得ない。豊橋の伊古部海岸でロケを行ったオープニング。抜けるような青い空と広い海。このイメージとは裏腹に、私は志村さんが亡くなった寂しさを感じてしまう。『エール』の時代背景は、敗戦から立ち上がり復興して行く日本。激動の昭和の時代に、音楽で国民を勇気づけようと、妻と共に歩んでいく物語。主人公は、実在した作曲家の古関裕而(こせきゆうじ)をモデルとした古山裕一。若手俳優の窪田正孝が演じている。古山の妻役には二階堂ふみ。この二人が素朴で温かい雰囲気を醸し出している。この二人に加えて唐沢寿明、薬師丸ひろ子、菊池桃子らのベテラン俳優が脇を固めている。そして大御所の作曲家、小山田耕三を演じるのは志村けんさん。また世界的なオペラ歌手の二浦環は柴咲コウさんが演じた。ドラマの展開は、二人が出会い、その後結婚するも、ほどなくして戦争が始まる。音楽で国民を通気づけたいと思いながらも、戦意高揚の為のものと扱われていることに心を痛める主人公。戦場の兵士を慰問に訪れた際には敵の銃撃を受け、目の前で恩師と仲間を失い、悲惨な現実を目の当たりにしてしまう。戦闘に怯え、狼狽える主人公。だがそれでも、兵士や家族に寄り添う気持ちで音楽を作り続ける裕一の姿を見て、朝から涙した日も多々あった。
従来の朝ドラのイメージを超えて、骨太な制作方針が見て取れる。
NHKからすれば、朝ドラという性格上、戦争の描写は出来るだけ避けて通りたいと思ったはずである。しかしながら、古関裕而という人物を描いたドラマである以上、避けて通る事ができなかったのが戦争の描写である。なぜならば、主人公が戦争を体験したからこそ生まれた曲が『長崎の鐘』と『オリンピックマーチ』だからである。このドラマは、従来の爽やかな朝ドラのイメージを超えて、骨太な制作方針が見て取れる。太平洋戦争という言葉の響きは、重苦しく、かなり昔のイメージではあるが、実は私が生まれる僅か16年前に終戦を迎えた出来事である。戦争を知らない世代の私ではあるが、このドラマは自分の心に大きな何かを残してくれた気がする。
志村さん不在の虚しさを感じた特別編。
昨日放送された『エール』はドラマ本編の無い特別編。出演者がNHKホールに集結して紅白歌合戦を思わせるコンサートを展開して幕を閉じた。コントからシリアスな演技までこなせる堀内敬子さんの歌声も初めて聴くことができた。最後は誰もが予想通りの展開。主演の窪田さんが指揮をする中で二階堂ふみさんが美声を響かせて締めた。これはこれで良かったのだが、私はそこに志村さんがいない虚しさを感じた。
これに対して、木曜日に放送された事実上の最終回では、志村さんが演じた小山田耕三から、主人公の古山裕一に宛てた手紙を紹介するシーンが加えられ放送された。亡くなった志村さんに感謝の意を示す粋な計らいである。もし健在であれば、ご本人が出演していたはずである。ここは、構成とナレーションでカバーして乗り切った。そしてラストシーンは、祐一が病床の音を連れて、二人が出会った思い出の場所、豊橋の伊古部海岸に出かける。ここで主題歌が流れてオープニングに繋がっていく展開。夫婦の絆を感じさせる、とても素晴らしいものであった。コロナ禍で制作された『エール』は、関係者が心を一つにして、其々が知恵を出し合って有終の美を飾った。この番組は視聴者への応援であると共に、番組制作に関わった全ての人に対する応援でもあったのだ。苦難の中、心温まるドラマであった。
いかりやさんと同じように、ドラマ出演で新境地を切り開こうとした志村さん。
エールに出演した志村さんは、髭を蓄えており、晩年のいかりや長介さんを彷彿させるものであった。5人揃って元気だったドリフターズの全盛期。後に志村さんが冠番組を持つようになり、いつしか二人の間には考え方の相違が生じてしまう。その後志村さんは、いかりやさんを名指しで批判するようになり、コント番組では、別々に収録していた時代もあった。その志村さんが、晩年のいかりやさんと同様に、ドラマ出演で新境地を切り開こうと考えた事も大変興味深い。仲違いの時期があったものの、自分がいかりやさんの遺志を引き継いでいくと決意した上での出演だと感じている。
「俺は他人から笑われたいんだ」笑いに人生を投じたプロだから言えること。
志村さんが生前に語った話で印象深いものがある。「俺は他人から笑われたいんだ」笑わせたいではなく笑われたいである。笑いに人生を投じたプロだから言えること。志村さんが人気絶頂期の頃、周りの人からこう言われたそうだ。「お前はいいよな、馬鹿馬鹿しい事や好きな事をして食べていけて」そう言われた志村さんは、なら自分もやればいいじゃないかと思ったそうだ。言われてみればその通りである。分かりきった事とはいえ、実行に移す勇気がない人が多いのも事実。世間体や体裁を考えて、いつしか普通の大人になってしまう。実は私もその一人である。そして気がつけば、私の人生も終わりに近づきつつある。だが、自分が好きな事であるならば、気持ち一つで今からでも始めることができる。どけよジジイと言われようが、息絶える最期まで人生は俺のもの。来年は人生の節目となる60歳を迎える。一昨年に患った大病で、一度は死んだ身だ。ボロボロになっても最期まで生き抜いてやる。
志村さんは笑いというフィルターを通して、それを教えてくれたのかもしれない。
志村さんは笑いというフィルターを通して、それを教えてくれたのかもしれない。