クスリ三兄弟。アムロちゃんとテルミちゃん ケプラー博士って誰やねん!
2021年6月11日
大病を発症して3年が経過した。発症当時から同じ薬を処方されて今も服用している。アムロちゃん(アムロジピン)とテルミちゃん(テルミサルタン)、ケプラー博士、クスリ3兄弟である。アムロちゃんとテルミちゃんは朝食後に1錠ずつ服用。これらは血圧を下げる薬。ケプラー博士は、朝と夜の2回服用。これは後遺症の発症を防ぐ薬。現在は三ヶ月ごとに問診のみで、飲み薬をいただいて帰る。そして先程問診に行ってきた。診察を受けると、いつもながら感じる事がある。医師は口の利き方を知らない人が多すぎる。何気ない一言であっても、言われた方は傷つく事もある。今日の問診でも同じような想いを感じた。かんに触る事を言われたからだ。「その後大丈夫?」「ええ、おかげさまで大丈夫です」「あなたは何度もやってるからね」私は大病を患った後、度重なる後遺症に悩まされた。一時は自暴自棄になり、こんな人生なら死ぬ方がマシだと思った事もある。誰もが好きで病気になるのではない。人それぞれ事実を受け入れ、立ち直る努力をしているのだ。医師として、客観的事実を伝えたつもりなのだろうが、もう少し、患者に寄り添う気持ちになれないだろうか。その場で言い返そうとも考えたが、感情を抑制して我慢した。
あまり触れたくはないが、大病がきっかけで失った物もある。諦めた事もある。だが幸いにも、自分は生きている。それが人生というものだろう。何もかも無傷で切り抜けるなど夢のまた夢。失ったら作り直せばいい。新しいスタイルで。諦めたら他ごとを始めればいい。やりたい事を。病気がきっかけとなり、価値観や認識が変わった事は数知れず。そして近日、待ちに待った事ができるようになる。これについては実現した時にブログで綴りたい。ぬか喜びはごめん被りたいから。あともう少しの辛抱。皆様にその記事をお読みいただいた際、私の病歴と共に、車の運転をケロヨンF谷に任せている理由をお分かりいただけるだろう。
たいした取り柄がないまま、いつのまにか人生も終盤に近づきつつある。頭脳もそこそこ。体力もそこそこ。見た目もそこそこ。口だけは達者。だが、敢えて一つだけ自慢できる事があるとしたら丈夫で健康な体である。私は19歳で上京。27歳まで東京で暮らして名古屋に帰った。東京で暮らした8年間、一度も病院に行った事が無い。これについては、母が丈夫な体に生み育ててくれたおかげに尽きる。と同時に、父の理解とバックアップなくしては実現できなかっただろう。3年前の大病以外、大きな病気体験は無かったが、今も記憶に残る大ケガの体験はある。中学3年生の時、素足でガラスのとびらを蹴破って出血。8針縫った事がある。その時は、今は亡き父が運転する車で近所の病院まで運んでくれた。
病院に到着後、すぐに先生に診ていただいた。「あ〜これは縫うしかないな」消毒液が傷口に染みる染みる。息を潜めて唯々耐えていた。次の瞬間激痛が走った。局部麻酔なしでいきなり縫合されたからだ。あまりの痛さに耐えきれず、ギャア〜と叫んでしまった。何と表現したら良いのだろう。肉の中を釣り針が貫通していく感じだ。針が皮と身を突き破る激痛。その後に糸が肉の中を通過する痛み。正に生き地獄だった。それから数週間、歩行できるまで回復したものの、痛みで階段を登ることができず、学校では友人におんぶしてもらっていた。なんともみっともない話である。あれから45年の歳月が流れた。病院に連れて行ってくれた父、診ていただいた病院も、今は存在していない。当時の自分は15歳。今後どのような人生を歩むのかなど考えた事すらなかった。漫然とした日々を送っていただけの人生。人並みにラジオの深夜放送を夢中で聴き、毎晩夜ふかしの連続だった。偶に好きなラジオ番組宛にハガキを出すと、クラスの仲間からこう言われた「昨日お前のハガキ読まれたよ」自分は疲れて寝てしまい、聴き逃すこと数回。その頃から、企画の才能が芽生え始めていたのかもしれない。
当時は推しが弱く、好きな女の子がいても告白などできなかった。中学時代のある日の事、大好きな女の子に「ところで中川君は誰の事が好きなのと聞かれて、その子の名前を書いた小さな紙切れを手渡すのが精一杯だった。奇しくも彼女が自分の名前を書いた紙切れを返してくれた事も、今は遠い日の思い出になってしまった。中学時代に歌謡曲を卒業。洋楽に興味が移り変わる頃だった。初めて興味を抱いた洋楽はスティービーワンダーの「スーパースティション」とビートルズの「サムシング」だった。ビートルズに衝撃を受けたのは、この曲との出会いから始まった。私の洋楽志向は、父親譲りのものだと思う。コンチネンタル・タンゴを聴く一方、エレキギターサウンドが大好きな父。演歌など大嫌いだと笑っていた。そんな父の事が好きだった。今でもはっきりと覚えている事がある。友達や父親から、お前は奥手だなぁと言われてきた。これについては、反論の余地がない。何事にも積極性に乏しく、前へ出るのが苦手な少年だった。勉学、趣味、好きな女性、全てにおいてである。実のところ、60歳になった今もほとんど変わっていない。こう見えても、普段は物静かでストイックなおじさんなのだ。一方で今も変わらない事はイタズラ好きな事。子供の頃からイタズラ大魔王と呼ばれていた、大声で笑う事も、他人を笑わせる事も大好きな子供だった。退屈な授業には耳を傾けず、ノートにイタズラのアイディアを書き溜めていた事もあった。才能といえば、それぐらいしか取り柄がなかった。ブログではエラソーな事を言ってますがね(笑)
☆Midnighttrain/The three degrees(1975)
https://www.youtube.com/watch?v=z2Aa4LVWgDY