お父さん‥もう居ないのか。

2021年7月15日

父が亡くなり今年で14年。父を言葉で表現するならば、家族の事を一番に考えた人。そしてどんなに苦しい時でも希望を持ち続けた人だった。そんな父の口癖で今も忘れられない言葉がある。「やってみろ」私が悩んでいる時など、必ずかけてくれた言葉である。あれこれ悩んでも仕方がないだろう。まずはやってみたらと言いたかったのだろう。大学受験にことごとく失敗して自分の未来を悲観していた頃。独立以前、勤務していた会社を辞めようかと悩んでいた頃。会社設立後の業績不振で事業転換を図ろうと模索していた頃。いずれも父が自分の背中を押してくれた気がする。そんな時は決まって言ってくれた。「章、やってみろ」

上の画像は結婚前の1989年、妻が実家を訪れた時に私が撮影したものだ。撮影時の年齢は父が54歳、母が53歳、そして妻が27歳である。今年は2021年だからこの画像から32年経過している事になる。奇しくも20日は父の日であるため、私も過去に戻り画像に加わってみようと考えた。今の自分が父にしてあげられる事は元気な姿を見せる事。そして偶に父の思い出を綴る事であろう。現在の私は60歳なので、画像撮影時の父の年齢を既に6歳も超えている。父はパーソナルメディアにも強い関心を示していたので、家族揃っての記事を喜んでくれるだろう。残念ながら父は2007年に病気で他界している。もし生存してくれていたら、最高の友人になっていただろう。いつかは恩返ししなければと思いつつも、最期まで感謝の気持ちを伝える事ができなかった。返す返すもそれが残念でならない。

父の思い出については数々あるが、父が亡くなる少し前、父の主治医から余命を伝えられた時の事。私は病院からの帰路、心が動揺してしまい交通事故を起こした。その結果、車は大破。廃車せざるを得ない状態に陥った。このままでは仕事に困るため、やむなく軽自動車を購入して父に話した。「お父さん新車を買ったよ。無事に退院できたら家族で出かけよう」その時の父は既に末期の状態で、退院など叶うはずがない状態であった。恐らく父も気付いていたはずだ。だが父は目を細めて私にこう告げた。「章、ありがとうな」

父は誰よりも個性を重視する人だった。決して自分の考えを押し付けず、いつも静かに見守ってくれていた。家族だけではない。父の兄弟や友人においても同様である。例え不仲になったとしても相手を非難する人ではなかった。私自身は正義感の強さ、生真面目なところなど父から受け継いだ事も多い。また趣味においても、似通っている部分も多々あるようだ。父はアメリカ軍好き、私は未来世界の軍隊を描いたスタートレックファン。ジャンルこそ違うのだがミリタリーに憧れを持っている事では共通していた。そして親子揃っての音楽好きだ。とりわけ私の洋楽志向は父譲りのものだろう。ビートルズに心酔する以前は、父の影響を受けて聴いたベンチャーズも好きだった。

今日は画像撮影のため、実家に隣接の事務所に来ている。1993年6月、親子の事業提携を目指して設立した会社がアムトレックである。事務所に来る度に、会社経営について父と夜中まで話していた日々を思い出す。お父さん、あれからもう15年も経ってしまったね。来週からクルマの運転を再開するよ。気が向いたら後席に乗って見守っていて。

☆Slauter On Tenth Avenue/The Ventures(1961)
https://www.youtube.com/watch?v=qgaJIHpF4Vk