年甲斐もなくスイマセン、
人は変化するのさどこまでも。
〜メルカリと価値観〜

2021年8月28日

メルカリを始めて以来4ヶ月が過ぎようとしている。以前の記事でも記述したが、きっかけは物で溢れた部屋を整理したいと思った事。そして利益も得られたらいいなと思っての事である。実を言えば、過去にはヤフオクの体験もある。友人のケロヨンFと二人合わせて500以上の取引実績を残した。この経験を次に活かしたいと思い始めたのがメルカリである。60歳を迎えて新しいチャレンジをするための踏み台になればの想いもあった。昨日も数件の取引を終えて、いつしか取引実績は170件になっている。メルカリを体験して私が最も感じた事は、何事においても楽しむ気持ちが大事であり、それが長続きの秘訣だと再認識できた事である。そこで今回はメルカリと価値観について綴りたい。

昨今のメルカリの躍進は誰もが認めざるを得ない状況である。正に一人勝ちの様相と言って良いだろう。オークションというシステムを作り上げて一時代を築いたヤフオクを超えてしまい、今や参加人口は一位になっている。実のところヤフオクは落ちぶれてしまい、閑古鳥が泣いているのが実状。ヤフオクだけではない。大手通販の楽天市場も同様である。楽天市場はamazonの猛攻撃を受けて、あっさりと一位の座を明け渡してしまった。一時期頂点を極めた企業であっても一寸先は闇である。常日頃から周囲を見渡す余裕がない大手企業は確実に落ちぶれていく時代なのだ。ではメルカリがヤフオクを逆転した要因はどこにあるのだろうか。結論から先に言ってしまおう。それは商品の殆どが送料込みだからである。

購入者にとっては、商品価格=送料込みにして欲しいのが本音である。だが出品者にとっては、これが頭痛の種になる。なぜならば、送料込みでも利益が出せるような値付けをするのは容易くないからである。これについては楽天市場においても同様。過去には送料無料を理想に掲げる事務局と出店者の間で揉めた事実が報じられている。私自身も実際のところ、送料が下がれば買うだろうと考える店は多い。ただし送料の問題について結論を出す事は難しい。どちらが負担すべきと決めつけられない問題だからである。これについてメルカリは、指針やルールなどは一切ない。全ては出品者のさじ加減に任せている。だが殆どの出品物は送料込みの価格設定である。いずれにせよメルカリの成功は購入者を最優先に鑑みたシステム設計を作り上げた事である。これこそが、メルカリ一人勝ちの要因である。今後は出品者から徴収する販売手数料を下げる事ができるかが課題になるだろう。

メルカリを体験して知り得た物事は殊の外大きい。最も大きい事は物の価値観と人の深層心理を学んだ事である。長引くコロナ禍で誰もがストレスを感じている。そのせいもあり、私がメルカリに出品した商品が多数売れて日々勉強させていただいている。面白い話をご披露させていただく。これはきっと売れるだろうと出品したものの、意に反して売れず、長期間残る物もある。「見込み違いか。もう売れないな。大幅に価格を下げよう」そう思い値段設定を変更した途端に全て売れてしまった事もある。推測ではあるが、いいねを付けずに価格が下がるのをじっと待っていたのかも知れない。だがそれはルール違反ではない。法律に触れる事さえしなければ何でもありなのだ。売る側も買う側もスリルを感じられるのもメルカリの面白いところだ。

メルカリを始めて以来私自身が最も変わった部分は物に対する価値観である。私は自他共に認めるビートルズファンである。青春時代に熱中して以来、彼らに注ぎ込んだ時間と金額は計り知れない。アナログ時代は多数の海賊盤(コレクターズ商品)を日本中のショップから買い求めた。これについては、メディアがCDに変わった以降も続いている。そして現在は公式商品の豪華CDボックスセットを多数所有している。だが購入しておきながら一度も使用せず、現在も殆どの商品を未開封のまま保管しているだけの状態。しかも同じ商品を複数個購入する悪癖もある。だが60歳を迎えた現在、自身の価値観を根こそぎ変えてみようと考えるようになった。

購入した物は躊躇わず開封して使用する。複数個所有している物は探している人にお譲りして対価を得る。そして得た対価で今の自分が最も必要とする物を入手しようと考えるようになった。無駄のない合理的な生き方の追求とでも言うべきだろうか。人生観についても同様である。体裁を気にする生き方は捨ててしまえばいいと思っている。還暦を迎えた自分に与えられた時間は、もうそれほど多くはないだろう。だからこそ、これが自分を変える最後のチャンスだと思っている。今更もう遅いよと言われるかも知れない。だがそれを恐れずに突き進む勇気を持つ事。それが今後の生き抜く力になると信じたい。

趣味に目を向ければ、昨今興味を抱いているのがフィギュアである。私の幼少期はフィギュアというセグメントの商品はなかった。当時はまだプラモデルが主流の時代。だがプラモデルは工作力が如実に出てしまう。私は手先が器用なグラフィックデザイナーではあるが、それは仕事に限っての事。正直に言えばプラモデルは面倒くさい。完璧主義の私にとっては苦痛以外の何者でもない。例えば制作中に少しでも手が滑れば、接着剤がはみ出てしまうし、塗装をミスると作品そのものが台無しになってしまう。これらの要因もあり、プラモデルは自分に向いていないと結論付けていた。そこで昨今足を踏み入れたのがフィギュアの世界である。フィギュアの殆どは彩色済みの完成品。私のような無精で不器用な者にとってはありがたい商品である。

フィギュアの魅力は数多くある。日本人ならではの繊細な造形力が感じられる商品が多い事。また同時に、高い技術力が感じられる商品も多い。更に徹底したマーケティングによるバリエーション豊かな商品企画などである。誰もが購入できる市販品に加えて、UFOキャッチャーで獲得できるプライズ品などもある。あくまでも私見ではあるが、今や日本のフィギュアは世界一のクオリティといって良いだろう。そう考えて以来、メルカリで得た売り上げを利用してフィギュアを購入している。私が購入するフィギュアは2種類のみ。一つはスタートレックに登場する戦艦のフィギュア。そしてもう一種類はルパン三世のヒロイン、峰不二子のフィギュアである。番組の放送当時は、ルパン三世をはじめとするアニメーション全般に興味を抱いた事が一度もない自分がである。またヒロインのフィギュアなど、少年が買うものと決めつけていた。ところがである。最近の女性をモデルにしたフィギュアのクオリティは驚くほど高い。スタイルが良いのはもちろんの事こと、コスチュームもファッショナブルで雰囲気が良い商品が多数存在するのだ。

画像をご覧いただきたい。抜群のプロポーション。そして優れた造形力による立ち姿の美しさには惚れ惚れしてしまう。昨今の若い人達がフィギュアに夢中になるのも頷ける。いや初老の自分でも欲しいなと思って購入したのが本音である。ルパン三世シリーズにおいては、峰不二子の人気は群を抜いている。ラインナップが彼女オンリーの商品も数種類がリリースされている。こんな八頭身美人なら誰でも入手したくなるはずだ。だが峰不二子の顔立ちは放映時とは異なり、現代女性の様相に変化している。これも時代の流れだろう。オリジナルに拘らず、新しい価値観を作り出そうという志には見習うべき点も多々ある。世の中は変化を続けている。そして初老の自分もまた変化を続けている。それが生きている証拠なのだ。でも断っておきますが、フィギュアを見つめて「不二子ちゃ〜ん」と独り言は言っていませんよ〜。

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