過ぎ去りし日々。 尽きぬ名残と溢れる想い。
2021年10月9日
8月21日の記事で綴ったイトーヨーカドー刈谷店が9月5日に閉店した。そこで今回は、イトーヨーカドー刈谷店の営業最終日の様子を報告させていただきたい。なお記事内の画像は、一部を除きケロヨンFが撮影したものである。はじめに、イトーヨーカドー刈谷店は、施設の正式名称ではない。正式な名称は「エルシティ刈谷店」そしてエルシティ刈谷店におけるメインのテナントがイトーヨーカドー刈谷店である。
閉店当日の刈谷店は午前中から大盛況。最後のショッピングを楽しみたいと大勢のお客様が訪れた。閉店売りつくしのPOPが飾られた衣料品をはじめに、雑貨、日用品など、どの売り場も混雑していた。普段はガラガラの屋上駐車場もこの日はほぼ満車状態。しかも警備員まで配置されていた。閉店売りつくしセールは、かなり以前から行われていたのだが、閉店1時間前になると食品売り場が混雑を極めており、空の棚が目立っていたようだ。営業最終日はお別れセレモニー実施のためか、通常より1時間早い19時に閉店。その20分後、正面入口前で大勢のお客様が見守る中、店長さんの挨拶が始まった。話の最中でお客様の感謝の声があちらこちらで飛び交う。「お疲れ様!」「今までありがとー」そして19時20分ごろセレモニーが終了。店長さんをはじめ従業員の方々が店内に整列。お客様に向かって深々と頭を下げた。その後お客様の盛大な拍手を受けてシャッターが降ろされた。近隣住民の暮らしを支え続けて41年。イトーヨーカドー刈谷店は有終の美を飾った。
私にとってイトーヨーカドー刈谷店は、たくさんの思い出が詰まった特別な場所。ただのスーパーマーケットという位置付けではなかった。独立以前に勤務していたデザイン会社で、刈谷店の仕事を担当した事がきっかけとなり、何度もこの店を訪れてきた。更に本ブログをサポートしてくれるケロヨンFの自宅に近いお店という事もあり、仕事の息抜きやショッピングを兼ねて度々訪れたきた。このお店に対して、かねてから私が抱いていたイメージは、素朴で誠実な量販店。普段着のまま気軽に出かけられる場所。そんなイメージのお店だった。
刈谷店が特別な場所の理由は仕事以外にもある。過去に刈谷店のテナントであったラーメン店「ポッポ」に何度も足を運んだからである。「ポッポ」は、ファーストフード感覚のラーメンチェーン店。当時のお店は女性従業員数名で運営されており、私が最も気に入っていたラーメン店であった。一番のお気に入りは細めの縮れ麺に沢山の焼き豚が添えられたチャーシュー麺。醤油味のスープはコクがあり絶品だと感じていた。これを食べると夏は身体中にエネルギーが満たされ、冬は冷え切った身体を瞬時に温めてくれた。この味を知って以来「ポッポ」のラーメンを味わいたく、何度も刈谷店を訪れた。ところがポッポは数年前、突然閉店してしまった。閉店理由は今もって不明のまま。その時は、近い将来刈谷店自体が閉店になるのではないかと危惧していた。だが、まさかそれが現実のものになるとは予想もしていなかった。フランチャイズの飲食店は、日々の売り上げが重要視されるのは当然の事。当時はまだコロナの影響はなかったはずだが、予想以上に売り上げが伸び悩んでいたのかもしれない。
1980年以降、コンビニが乱立して存在意義を失った大型量販店は多い。私がグラフィックデザイナーとして東京で生活した独身時代。仕事でお世話になったダイエー、忠実屋と、後に消滅した大型量販店は多い。当時の関係者から聞いた話では、ダイエーは従業員のボーナスも支給困難で、商品が現物支給された事もあるという。
かつては安さを競い合う事で成長してきた量販店だが、昨今はそれだけでは生き残れない時代に変化してきている。生活の多様化が進み、人々の価値観が大きく変わりつつあるからだ。私自身、かつては事業企画の立案や販促業務にも従事してきたが、この先の予測を立てることが困難な時代になっている。ただこれだけは言える。業種や業態に関わらず、何事においても一つの方向性に拘らず、幅広い選択肢を用意できるかが問われているのではないかと。既成概念を自ら壊す勇気を持つ事。人も企業も大事な事だと感じている。41年の歴史を誇るイトーヨーカドー刈谷店は終焉を迎えた。だが悲しむ必要はない。一つ終わればまた新しい事を始められるのだ。過去に拘らず新しい価値観を創造していただきたい。長い間お疲れ様でした。そして、私たちを楽しませてくれてありがとう。
☆All Those Years Ago/George Harrison(2019 Mix)
https://www.youtube.com/watch?v=u6LjiC9aoqM