今年もありがとう!
ブログ閲覧数ベストテン

2022年4月10日

今年も残すところあと一ヶ月となった。心配されていたコロナ禍もようやく落ち着き、街は師走のムードが高まりつつある。だがここに来て、より感染力が強い変異株が生まれており、まだ安心できない状態だ。三回目のワクチン接種も現実のものとなり、先が見通せない世の中になりつつある。病気の後遺症を断ち切りたいと始めた本ブログも今年で満二年。今ひとつスッキリしない世の中だが、私自身は無事に還暦を迎えた年として記憶に残る一年になるだろう。そこで今回から二回連続で記事閲覧数ベスト10を発表したい。

はじめに順位決定要素の閲覧数は今年のみではなく、2019年7月以降、つまりブログ開設以来の閲覧数と策定した。また閲覧数については、一回閲覧=1と定義した。なお本ブログは、私を含めた関係者の閲覧は自動的に除外される仕様。従って水増しがない、実数の閲覧数である。

1☆マイティジャック 255
 素晴らしい特撮作品におけるメカのデザイン

https://amtrek.jp/ablog/?p=1056
2☆with A Little Luck 179
 フレンズカタログ 菅尾陽子さん

https://amtrek.jp/ablog/?p=4743
3☆JAL123便墜落事故 144
 今も忘れ得ぬ大惨事

https://amtrek.jp/ablog/?p=5367
4☆フレンズカタログ 大島奈菜子さん 67
https://amtrek.jp/ablog/?p=2117


5☆斜陽のパチンコ業界とデザイン 65
6☆ミュージックビジネスとデザイン 61
7☆変わりゆく時代と文化 56
8☆ビートルズが愛した女性たち❹ 54
9☆Sweet Lady Sixties 52
 フレンズカタログ 松崎民子さん
10☆デザイナーなんて要らない!? 45

iPad画面による閲覧数

今だから明かすが、ブログ開設当初は閲覧数など全く気にしていなかった。なぜならば閲覧数を気にしてしまうと媚を売る内容となり、自分らしさがなくなるのではと考えたからだ。本ブログの存在はごく少数の知人にしか教えていない。だから閲覧数などどうでもいいと考えていた。それよりも長く続けられるのかを最大の課題と考えていた。その為には、まず企画第一と考えた。所謂ネタづくりである。日々思いつくものだけではなく、長く続けられるシリーズ物が必要だと考えた。そこで考案した企画が「フレンズカタログ」だ。自分の大切な友人、またお世話になった人、憧れの人を紹介する企画と位置づけた。最初に紹介した友人は、昨年11月に他界した大島奈菜子さんである。彼女の紹介記事は予想以上の閲覧数を得てトップになったが、最初で最後の紹介記事になってしまった。

彼女の全面協力により完成した初めての試み。彼女に謝意を示すとともに、次に続けたいと企画した記事が2位の「with A Little Luck」菅尾陽子さんを紹介した記事である。菅尾さんの記事は、大島奈菜子さんが最も紹介したい友人と聞き作成したものだ。埼玉県と名古屋市に住む二人は一度も会った事がないという不思議な間柄だが、ネットを通じて出会い、心が通い合う友人と聞いていた。作成から一ヶ月。記事は完成したものの、自分を納得させることができないクオリティと判断。一から作り直して2020年7月3日に公開した。公開初日から凄まじい勢いで閲覧数は上昇の一途を辿る。いつしか紹介者である大島奈菜子さんの記事閲覧数を抜き去りトップになった。

菅尾さんの紹介記事は本年10月下旬まで1位の座を明け渡さなかった。この事実には私自身も唯々驚いた。あくまでも推測だが、菅尾さんのご友人やファンの方々が閲覧してくれたのだろう。だが本年9月頃から猛追する記事が出現していた。当時3位の「マイティジャック」である。「マイティジャック」 は1968年に放送開始。幼少期からの私の憧れのテレビ番組である。史上初の製作費1000万円を超える特撮SFドラマ作品。二谷英明さんをはじめとする豪華な俳優陣が売り物だったが、僅か1クール13回で打ち切りされた悲運の番組だった。この記事は企画設定とメカのデザインを詳細に記述した特集企画と位置づけた。作成にあたり資料収集と構想に膨大な時間を要した。その甲斐もあり、多くの方々に読んでいただいたようだ。

順位の傾向としては、本年春頃からベスト3に入る常連になっていた。そして本年10月中旬になると2位の「with A Little Luck」と抜きつ抜かれつのデッドヒートを繰り広げるようになり、11月に入ると「with A Little Luck」を抜き初の1位になった。その後も「マイティジャック」の勢いは衰えず、いつしか「with A Little Luck」を抜き去り、50以上の差をつけるようになった。

3位のJAL123便墜落事故は私がブログで綴りたいと思っていた記事の一つ。1985年8月12日に発生した航空機の大惨事。羽田空港から大阪に向けて飛び立ったジャンボ機が御巣鷹山に墜落。500名以上の乗客が死亡した痛ましい事故だった。事故原因は圧力隔壁の爆発による垂直尾翼の損傷。当時の状況を思い出しながらこの記事を綴った時は、涙が溢れ出て止まらなかったことを今も覚えている。日々の出来事に想いを馳せながら、自分の意見や考えを綴る。これが私のブログの制作方針と言って良いだろう。喜怒哀楽。生きているからこそ感じる心のあり方をありのままに綴る。この方針は変えない。次回は12月18日更新予定。ブログの未公開画像や制作の裏側をご披露します。

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