オムレツ、食パン、ソフト麺 おじさん世代の給食事情 2022年2月13日
ニュースを見ていたら、コロナの感染爆発で学校が休みになり、給食が提供出来ずで余っていると報道していた。困った自治体はパンを詰め合わせて販売したら早々に売り切れたという。中々良いアイディアだと感心した。少なくとも「検討します」しか語らない無能な政治家よりずっとマシだ。議会ばかりで決断力のない議員が多いのはウンザリする。こんな時こそ決断力を持ち、職務を果たしていただきたい。
私は昭和生まれなので小学校時代までは給食が出た。私より前の世代の食器はアルマイトらしいが私の世代は樹脂製だった。主食は食パンが三枚。生のままでピンクのお皿の上に配られた。そのままでは食べにくいでしょうと小さなマーガリンが添えられていた。おかずは日替わり。ライトグリーンの器で配食された。デザート用はライトブルー。生徒自身が個々の器に盛りつけて配食するため、間違えないようにとの配慮なのだろうか。当時の名古屋市の給食はまだパン食のみ。白米が選択可能になったのはずっと後らしい。生で提供される食パンを三枚平らげるなど出来るわけがない。食べきれない食パンは持ち帰るしかない。私の母はいつもこう言ってきた。「余った食パンは持ち帰りなさいよ」「カチカチになってもいいの?」「パン粉にするから大丈夫」たわいもない会話だが、親子の意思疎通があった時代ならではの懐かしい思い出だ。
当時の給食調理は女性3〜4名で担当されており、メニューにも工夫が感じられた。人気メニューはハンバーグ、ソフト麺、オムレツなど。ハンバーグとオムレツは調理済みでレトルトの記憶がある。生徒の間ではついにこんなメニューまで出来るようになったのかと話していた記憶も残っている。ソフト麺は加熱済みでビニール包装されており、食器に盛り付けた後にカレーシチューをかけて頂いた。当時の献立表にはカレー麺と記されていた。ソフト麺は男女を問わず好評で、ミートソースのバリエーションもあった。殆どのメニューは残さずに食べたが苦手な物も出された。最も苦手な物はひじきと生野菜にドレッシングを和えたもの。現在はどうって事はないが、当時は好きになれなかった。ひじきはなぜこんな変な物を食べなければいけないのか。ドレッシングを和えた野菜は酸っぱくてこれはダメだなと感じていた。
歳を重ねるごとに食の好みも変化していく。幼い頃は苦手だったこうや豆腐と煮物など、現在は好きな食べ物に変わっている。名古屋を離れて上京する際に母から言われた事を思い出す。「好きなものだけ食べていてはダメですよ。バランスの良い食事をとりなさいよ」当時19歳の自分は60歳になり、44歳の母は84歳になっている。お互いに歳を重ねて消化能力が衰え始めているが、気の強さは未だに衰えていないようだ。血は争えないという事か(笑)
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2022年2月13日
ニュースを見ていたら、コロナの感染爆発で学校が休みになり、給食が提供出来ずで余っていると報道していた。困った自治体はパンを詰め合わせて販売したら早々に売り切れたという。中々良いアイディアだと感心した。少なくとも「検討します」しか語らない無能な政治家よりずっとマシだ。議会ばかりで決断力のない議員が多いのはウンザリする。こんな時こそ決断力を持ち、職務を果たしていただきたい。
私は昭和生まれなので小学校時代までは給食が出た。私より前の世代の食器はアルマイトらしいが私の世代は樹脂製だった。主食は食パンが三枚。生のままでピンクのお皿の上に配られた。そのままでは食べにくいでしょうと小さなマーガリンが添えられていた。おかずは日替わり。ライトグリーンの器で配食された。デザート用はライトブルー。生徒自身が個々の器に盛りつけて配食するため、間違えないようにとの配慮なのだろうか。当時の名古屋市の給食はまだパン食のみ。白米が選択可能になったのはずっと後らしい。生で提供される食パンを三枚平らげるなど出来るわけがない。食べきれない食パンは持ち帰るしかない。私の母はいつもこう言ってきた。「余った食パンは持ち帰りなさいよ」「カチカチになってもいいの?」「パン粉にするから大丈夫」たわいもない会話だが、親子の意思疎通があった時代ならではの懐かしい思い出だ。
当時の給食調理は女性3〜4名で担当されており、メニューにも工夫が感じられた。人気メニューはハンバーグ、ソフト麺、オムレツなど。ハンバーグとオムレツは調理済みでレトルトの記憶がある。生徒の間ではついにこんなメニューまで出来るようになったのかと話していた記憶も残っている。ソフト麺は加熱済みでビニール包装されており、食器に盛り付けた後にカレーシチューをかけて頂いた。当時の献立表にはカレー麺と記されていた。ソフト麺は男女を問わず好評で、ミートソースのバリエーションもあった。殆どのメニューは残さずに食べたが苦手な物も出された。最も苦手な物はひじきと生野菜にドレッシングを和えたもの。現在はどうって事はないが、当時は好きになれなかった。ひじきはなぜこんな変な物を食べなければいけないのか。ドレッシングを和えた野菜は酸っぱくてこれはダメだなと感じていた。
歳を重ねるごとに食の好みも変化していく。幼い頃は苦手だったこうや豆腐と煮物など、現在は好きな食べ物に変わっている。名古屋を離れて上京する際に母から言われた事を思い出す。「好きなものだけ食べていてはダメですよ。バランスの良い食事をとりなさいよ」当時19歳の自分は60歳になり、44歳の母は84歳になっている。お互いに歳を重ねて消化能力が衰え始めているが、気の強さは未だに衰えていないようだ。血は争えないという事か(笑)