要らねえな。実況、解説、コメンテーター 2022年2月25日
テレビを見ていて普段から気になる事がある。感情移入が激し過ぎるスポーツ実況。専門用語を並べるだけの解説者、乏しい知識のコメンテーター。ついでにしつこいリポーターも加えておく。全部要らねーと思うのは自分だけなのだろうか。言葉の重要さは分かるのだが、喋り過ぎは逆効果だ。そこで今回は言葉について考察してみる。
自分もそうだが、他人に自分の意見を伝えようとすると話しが長くなるものだ。結論から言うとこれは逆効果。強く訴えたい時こそ話を短く区切って伝えるのが効果的。短く区切った方が要点が明確になり、相手に伝わりやすくなるものだ。例を挙げて説明しよう。元読売ジャイアンツ監督の長嶋さん。普段から話すのが好きなのかもしれないが、監督時代の長嶋さんはリップサービスが過ぎて意味不明な会話が多かった。「そうですね〜松井の頭は小松にいっぱいですね」???また長嶋さんは話題を区切らず話す方なので、話が繋がってしまい、聞いている方は疲れてしまうのだ。要は箇条書きのように短く区切って話す事。これで要点が明確になり、聞く方も理解がしやすい。
プロ野球といえば実況担当のアナウンサーも気になる事が多い。プロの使命感なのか感情移入が強すぎて、見ている側はうるさいと感じてしまう。あまりにひどい時は、どちらのチームのファンなのか、直ぐに分かってしまう人もいる。アナウンサーだけではない。くどくどと自説を誇示する解説者も同様だ。しゃべりのプロではないので責める事は出来ないが、ほどほどにしていただきたい。いつだったか野球中継のあり方が話題になった事がある。視聴者から実況や解説がない放送を見たいと意見が出たらしい。実はこの意見に耳を傾けて実際に行った局があったのだ。また偶然だが、私はその放送をリアルタイムで見ていた。率直に感想を言えばとても良かった。実況がないために球場の空気感が感じられ、ゲームに集中する事が出来た。テレビ越しの観戦でもその場にいるかのように感じられたのだ。日頃は当たり前の事でも、無くしてみると斬新に感じる事もある。
現在のテレビで思う事は、安易な企画の番組が多すぎる事だ。有名タレントを並べて食事を振る舞うだけのおもてなし番組。タレントがゲーム機で遊んでいるだけの番組。散歩するだけの番組、一般人の家に押し掛ける番組など枚挙にいとまがない。あくまでも推測だが、予算縮小で思うような企画が立てられないのだろう。またコロナ禍ということもあるだろう。だがこんな時こそ知恵を絞って新しい試みを見せるのがプロの役目だろう。またこの問題は、タレントや芸能人に責任はない。番組を企画したプロデューサーが悪いのだ。お笑い芸人の意味を履き違えてはいないか。他人を笑わせるのがお笑い芸人の仕事のはずだが、笑ってるいるだけでは芸が無い、ただの人になってしまう。
最後に要らないのが、昨今のワイドショーに付き物のコメンテーターとリポーターだ。私が優れていると感じるコメンテーターは上の画像に写る御三方。頭脳明晰な三浦さん、毒舌だが憎めない古市さん、時には情熱的な橋下さんである。いずれの方も視点があり、有益な情報を得た上でコメントしている事が分かるのだ。一方でダメなコメンテーターは世間話レベルの批評しかできないタレントに多い。また時には番宣のためにキャスティングしたのが見え見えの番組もある。最もこんな事はメディアの世界では日常茶飯事なのだろう。批判を承知の上でやっているのだ。
最後はリポーターだ。リポーターは、話を引き出す能力が要求されるはずだが、あまりにしつこくて不愉快な気分になる場合が多い。例えば事故や災害が起きた時など、被害者の心情を顧みない質問をするリポーターが多過ぎる。一言お願いしますと食い下がり、被害者が答えたにも関わらず、「最後に一言お願いします」だと。一言の意味が分からないのなら義務教育からやり直して来い。過ぎたるは及ばざるがごとしだ。
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2022年2月25日
テレビを見ていて普段から気になる事がある。感情移入が激し過ぎるスポーツ実況。専門用語を並べるだけの解説者、乏しい知識のコメンテーター。ついでにしつこいリポーターも加えておく。全部要らねーと思うのは自分だけなのだろうか。言葉の重要さは分かるのだが、喋り過ぎは逆効果だ。そこで今回は言葉について考察してみる。
自分もそうだが、他人に自分の意見を伝えようとすると話しが長くなるものだ。結論から言うとこれは逆効果。強く訴えたい時こそ話を短く区切って伝えるのが効果的。短く区切った方が要点が明確になり、相手に伝わりやすくなるものだ。例を挙げて説明しよう。元読売ジャイアンツ監督の長嶋さん。普段から話すのが好きなのかもしれないが、監督時代の長嶋さんはリップサービスが過ぎて意味不明な会話が多かった。「そうですね〜松井の頭は小松にいっぱいですね」???また長嶋さんは話題を区切らず話す方なので、話が繋がってしまい、聞いている方は疲れてしまうのだ。要は箇条書きのように短く区切って話す事。これで要点が明確になり、聞く方も理解がしやすい。
プロ野球といえば実況担当のアナウンサーも気になる事が多い。プロの使命感なのか感情移入が強すぎて、見ている側はうるさいと感じてしまう。あまりにひどい時は、どちらのチームのファンなのか、直ぐに分かってしまう人もいる。アナウンサーだけではない。くどくどと自説を誇示する解説者も同様だ。しゃべりのプロではないので責める事は出来ないが、ほどほどにしていただきたい。いつだったか野球中継のあり方が話題になった事がある。視聴者から実況や解説がない放送を見たいと意見が出たらしい。実はこの意見に耳を傾けて実際に行った局があったのだ。また偶然だが、私はその放送をリアルタイムで見ていた。率直に感想を言えばとても良かった。実況がないために球場の空気感が感じられ、ゲームに集中する事が出来た。テレビ越しの観戦でもその場にいるかのように感じられたのだ。日頃は当たり前の事でも、無くしてみると斬新に感じる事もある。
現在のテレビで思う事は、安易な企画の番組が多すぎる事だ。有名タレントを並べて食事を振る舞うだけのおもてなし番組。タレントがゲーム機で遊んでいるだけの番組。散歩するだけの番組、一般人の家に押し掛ける番組など枚挙にいとまがない。あくまでも推測だが、予算縮小で思うような企画が立てられないのだろう。またコロナ禍ということもあるだろう。だがこんな時こそ知恵を絞って新しい試みを見せるのがプロの役目だろう。またこの問題は、タレントや芸能人に責任はない。番組を企画したプロデューサーが悪いのだ。お笑い芸人の意味を履き違えてはいないか。他人を笑わせるのがお笑い芸人の仕事のはずだが、笑ってるいるだけでは芸が無い、ただの人になってしまう。
最後に要らないのが、昨今のワイドショーに付き物のコメンテーターとリポーターだ。私が優れていると感じるコメンテーターは上の画像に写る御三方。頭脳明晰な三浦さん、毒舌だが憎めない古市さん、時には情熱的な橋下さんである。いずれの方も視点があり、有益な情報を得た上でコメントしている事が分かるのだ。一方でダメなコメンテーターは世間話レベルの批評しかできないタレントに多い。また時には番宣のためにキャスティングしたのが見え見えの番組もある。最もこんな事はメディアの世界では日常茶飯事なのだろう。批判を承知の上でやっているのだ。
最後はリポーターだ。リポーターは、話を引き出す能力が要求されるはずだが、あまりにしつこくて不愉快な気分になる場合が多い。例えば事故や災害が起きた時など、被害者の心情を顧みない質問をするリポーターが多過ぎる。一言お願いしますと食い下がり、被害者が答えたにも関わらず、「最後に一言お願いします」だと。一言の意味が分からないのなら義務教育からやり直して来い。過ぎたるは及ばざるがごとしだ。