自分をあきらめない。 2022年3月13日
若い頃から気が強く、責任感がある男と思われてきた。私自身もそう思っていたので、他人が嫌がる仕事やポジションは率先して引き受けてきた。だがそんな自分の考えを知った友人達は必ず私にこう尋ねてきた。「でも孤独でしょ」「そんな事はないよ」「ウソ〜」「それが自分の価値だから仕方がない」当時はそのように思っていた。強い自分の姿を見せなければダメだと。だがここ数年で変化してきている。それはもう十分だろう。今後はありのままの自分を出すべきだと。そこで今回は心の在り方を綴りたい。
人間が生きていくためには、様々な悲しみや困難に直面する。殆どの場合は時間が解決してくれる。だが歳を重ねると、どこからか再び湧き出てきて頭をよぎるのだ。受験勉強に疲れ果て、この先自分はどうしたら良いのだろうと悩んでいた日々。会社が危機に直面して、岐路に立たされた日々。父が亡くなる直前の衰弱した姿。一つ一つが鮮明な映像で蘇る。そんな時は堪えても自然に涙が溢れてしまう。過ぎ去った日々は忘れようと思いながらも、未だに忘れられない事もある。当時の自分の対応に納得が出来ていないのだ。あれしかできなかったのか。もっと他の方法があったのではないかと。そんな時は自分の心と向き合う映画を見る様にしている。私が見るのは、2006年に公開された「ロッキー・ザ・ファイナル」だ。
ロッキーシリーズをご存知ない方のために、簡単に説明させていただく。ロッキーはフィラデルフィアで暮らす無名のボクサー。ふとしたきっかけで、ヘビー級チャンピオンの対戦相手に抜擢される物語。シルヴェスタ・スタローンが脚本を制作、そして自らが主演を果たした作品だ。低予算ながら世界中で大ヒットした。公開当時は、スタローン自らがアメリカンドリームを実践した作品だと報道されていた。その結果として興行成績も群を抜き、続編も製作されたが、5作目の評価が著しく良くなかった。これについてはスタローンも気にしていたようだ。そこで作り直しの意味を込めた真の最終作がロッキー・ザ・ファイナルだ。
私がこの作品を好む理由はただ一つ、ボクシングを題材にしながらも、アクション映画の域を超えて学ぶべき事が描かれているからだ。主人公のロッキーは50歳。既にボクサーを引退してレストランを経営している。世間からは過去の人と決めつけられ、実力を過大評価されているという話を耳にする。妻のエイドリアンは数年前に亡くなり、息子とは確執が生まれつつある。だが彼はふてくされず、毎日を懸命に生きている。そこへある日突然、再びリングに上がるチャンスが訪れるのだ。私がこの作品を見て感じる事は、なぜロッキーは闘うのかという点だ。彼がボクサーだから。いや、違う。ファイトマネーが欲しいから。いや、それも違う。ロッキーは闘う事で自分の心に向き合っているのだ。自分自身と向き合い、今も残る苦悩を断ち切るために闘うのだ。これについては、思い出深い情景やセリフで随所に表現されており、ロッキーの気持ちが理解できるように作られている。また音楽も良い。ビル・コンティの有名なテーマ曲が使用されており、当時の感動が呼び起こされる。また本作には繋がりを暗示させる伏線も用意されている。第一作でロッキーが叱り飛ばした不良少女のマリーが大人の女性に成長して出演しているのだ。単なる根性モノではなく、心の琴線に触れる作品に仕上がった本作は、ファンや評論家から大きな賛辞が贈られた。
本作の価値をどこに見いだすかは、見た人の境遇や人生観で異なってくるだろう。だが全てに共通するのは、人生は闘いの場であるという事だ。人生は楽しい事ばかりではなく、人それぞれに悲しみと苦悩がある事を再認識させてくれる。打たれても打たれても、ノーガードでチャンピオンに向かっていくロッキーの後ろ姿は胸を打つ。と同時に、どんなに辛い時でも周りを気遣う優しい心が必要だと教えてくれている。自分が高校生の頃、映画館で観た作品がロッキーだった。そして東京で一人暮らしを始めた時に観た作品がロッキー2だった。単なるノスタルジーで終わらせず、今を生きる姿を描いた作品は、明日を生きる糧になるだろう。ありがとうロッキー。
☆ロッキー・ザ・ファイナル予告編
https://www.youtube.com/watch?v=zI1ikYdiueA
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2022年3月13日
若い頃から気が強く、責任感がある男と思われてきた。私自身もそう思っていたので、他人が嫌がる仕事やポジションは率先して引き受けてきた。だがそんな自分の考えを知った友人達は必ず私にこう尋ねてきた。「でも孤独でしょ」「そんな事はないよ」「ウソ〜」「それが自分の価値だから仕方がない」当時はそのように思っていた。強い自分の姿を見せなければダメだと。だがここ数年で変化してきている。それはもう十分だろう。今後はありのままの自分を出すべきだと。そこで今回は心の在り方を綴りたい。
人間が生きていくためには、様々な悲しみや困難に直面する。殆どの場合は時間が解決してくれる。だが歳を重ねると、どこからか再び湧き出てきて頭をよぎるのだ。受験勉強に疲れ果て、この先自分はどうしたら良いのだろうと悩んでいた日々。会社が危機に直面して、岐路に立たされた日々。父が亡くなる直前の衰弱した姿。一つ一つが鮮明な映像で蘇る。そんな時は堪えても自然に涙が溢れてしまう。過ぎ去った日々は忘れようと思いながらも、未だに忘れられない事もある。当時の自分の対応に納得が出来ていないのだ。あれしかできなかったのか。もっと他の方法があったのではないかと。そんな時は自分の心と向き合う映画を見る様にしている。私が見るのは、2006年に公開された「ロッキー・ザ・ファイナル」だ。
ロッキーシリーズをご存知ない方のために、簡単に説明させていただく。ロッキーはフィラデルフィアで暮らす無名のボクサー。ふとしたきっかけで、ヘビー級チャンピオンの対戦相手に抜擢される物語。シルヴェスタ・スタローンが脚本を制作、そして自らが主演を果たした作品だ。低予算ながら世界中で大ヒットした。公開当時は、スタローン自らがアメリカンドリームを実践した作品だと報道されていた。その結果として興行成績も群を抜き、続編も製作されたが、5作目の評価が著しく良くなかった。これについてはスタローンも気にしていたようだ。そこで作り直しの意味を込めた真の最終作がロッキー・ザ・ファイナルだ。
私がこの作品を好む理由はただ一つ、ボクシングを題材にしながらも、アクション映画の域を超えて学ぶべき事が描かれているからだ。主人公のロッキーは50歳。既にボクサーを引退してレストランを経営している。世間からは過去の人と決めつけられ、実力を過大評価されているという話を耳にする。妻のエイドリアンは数年前に亡くなり、息子とは確執が生まれつつある。だが彼はふてくされず、毎日を懸命に生きている。そこへある日突然、再びリングに上がるチャンスが訪れるのだ。私がこの作品を見て感じる事は、なぜロッキーは闘うのかという点だ。彼がボクサーだから。いや、違う。ファイトマネーが欲しいから。いや、それも違う。ロッキーは闘う事で自分の心に向き合っているのだ。自分自身と向き合い、今も残る苦悩を断ち切るために闘うのだ。これについては、思い出深い情景やセリフで随所に表現されており、ロッキーの気持ちが理解できるように作られている。また音楽も良い。ビル・コンティの有名なテーマ曲が使用されており、当時の感動が呼び起こされる。また本作には繋がりを暗示させる伏線も用意されている。第一作でロッキーが叱り飛ばした不良少女のマリーが大人の女性に成長して出演しているのだ。単なる根性モノではなく、心の琴線に触れる作品に仕上がった本作は、ファンや評論家から大きな賛辞が贈られた。
本作の価値をどこに見いだすかは、見た人の境遇や人生観で異なってくるだろう。だが全てに共通するのは、人生は闘いの場であるという事だ。人生は楽しい事ばかりではなく、人それぞれに悲しみと苦悩がある事を再認識させてくれる。打たれても打たれても、ノーガードでチャンピオンに向かっていくロッキーの後ろ姿は胸を打つ。と同時に、どんなに辛い時でも周りを気遣う優しい心が必要だと教えてくれている。自分が高校生の頃、映画館で観た作品がロッキーだった。そして東京で一人暮らしを始めた時に観た作品がロッキー2だった。単なるノスタルジーで終わらせず、今を生きる姿を描いた作品は、明日を生きる糧になるだろう。ありがとうロッキー。
☆ロッキー・ザ・ファイナル予告編
https://www.youtube.com/watch?v=zI1ikYdiueA