共に白髪の生えるまで 妻よ60歳おめでとう。 2022年5月4日
妻が本日誕生日を迎えた。1962年生まれの妻は今年で60歳。昨年の私に続いて無事に還暦を迎える事ができた。妻と結婚して32年。大きな病気もなく無事に還暦を迎えられた事は何よりのご褒美だろう。妻の生まれたところは福島県田村市。以前は田村郡であったが、その後市に昇格した。実家は緑豊かな田園地帯。家の前は磐越東線。2両編成のディーゼルカーがのんびりと走る絵になる街だ。
思い起こせば33年前のこと。妻の実家を訪れてご両親に挨拶をした。妻の父は生粋のジャイアンツファン。当時の私は筋金入りのドラゴンズファン。何の因果か妻の実家に泊まった際は巨人×中日戦。しかもテレビ中継していた。試合展開はドラゴンズ打線が爆発するいやな展開。こんな時に限って打ちまくりやがってと思いながらも、お父さんを刺激しないように無関心を装った。試合の大勢が決まる頃を見計らい私から切り出した。「結婚させてください」お父さんの顔を伺うと微笑みながらこう返された。「結婚は良いが名古屋は遠いからなぁ」これがお父さんの本音だろうなと実感した。翌年の1990年に結婚。その年に私達が暮らす家を訪ねてくれた。昼間は私の運転で熱田神宮へ案内した。夜は実家へ招き父と母を紹介した。だが結果的にこれが最初で最後になってしまった。妻のお父さんは2001年の冬、積もった雪を払おうと屋根に上がり転落。救命ヘリで病院に搬送されたが、程なくして亡くなった。妻の父も私の父も既にこの世にいない。こうして考えると、結婚の意義と親のありがたみが痛いほど分かる。
今日は妻の還暦を祝おうと、密かにサプライズを用意した。自宅近くの洋菓子店で似顔絵ケーキをオーダーしたのだ。大粒苺とたっぷりの生クリームショートケーキ。出来上がった似顔絵ケーキは予想を超える出来栄え。妻の似顔絵は直径14センチのホワイトチョコレートに描かれたもの。妻曰く、「どう見ても美化しているよね」「だとしてもいいじゃないか。よく似てるよ」そして「私この部分全部食べる〜」と一人で食べてしまった。「お前なぁ、自分の顔食べるかよ」その後6本のローソクを立てお祝いした。おかげさまで結婚当時からあまり変わっていない二人だが、生きていられるだけで幸せだと感じられる年齢になった。できる事なら妻のお父さんにも見せてあげたかったのだが、それも叶えられないのが現実。だが私はお父さんに挨拶した日の事を今も鮮明に覚えている。終始穏やかに接していただき、結婚に理解をしてくれたお父さんの笑顔を忘れる事はない。お父さん、笑美子は60歳になりましたよ。これからも見守ってあげてください。
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2022年5月4日
妻が本日誕生日を迎えた。1962年生まれの妻は今年で60歳。昨年の私に続いて無事に還暦を迎える事ができた。妻と結婚して32年。大きな病気もなく無事に還暦を迎えられた事は何よりのご褒美だろう。妻の生まれたところは福島県田村市。以前は田村郡であったが、その後市に昇格した。実家は緑豊かな田園地帯。家の前は磐越東線。2両編成のディーゼルカーがのんびりと走る絵になる街だ。
思い起こせば33年前のこと。妻の実家を訪れてご両親に挨拶をした。妻の父は生粋のジャイアンツファン。当時の私は筋金入りのドラゴンズファン。何の因果か妻の実家に泊まった際は巨人×中日戦。しかもテレビ中継していた。試合展開はドラゴンズ打線が爆発するいやな展開。こんな時に限って打ちまくりやがってと思いながらも、お父さんを刺激しないように無関心を装った。試合の大勢が決まる頃を見計らい私から切り出した。「結婚させてください」お父さんの顔を伺うと微笑みながらこう返された。「結婚は良いが名古屋は遠いからなぁ」これがお父さんの本音だろうなと実感した。翌年の1990年に結婚。その年に私達が暮らす家を訪ねてくれた。昼間は私の運転で熱田神宮へ案内した。夜は実家へ招き父と母を紹介した。だが結果的にこれが最初で最後になってしまった。妻のお父さんは2001年の冬、積もった雪を払おうと屋根に上がり転落。救命ヘリで病院に搬送されたが、程なくして亡くなった。妻の父も私の父も既にこの世にいない。こうして考えると、結婚の意義と親のありがたみが痛いほど分かる。
今日は妻の還暦を祝おうと、密かにサプライズを用意した。自宅近くの洋菓子店で似顔絵ケーキをオーダーしたのだ。大粒苺とたっぷりの生クリームショートケーキ。出来上がった似顔絵ケーキは予想を超える出来栄え。妻の似顔絵は直径14センチのホワイトチョコレートに描かれたもの。妻曰く、「どう見ても美化しているよね」「だとしてもいいじゃないか。よく似てるよ」そして「私この部分全部食べる〜」と一人で食べてしまった。「お前なぁ、自分の顔食べるかよ」その後6本のローソクを立てお祝いした。おかげさまで結婚当時からあまり変わっていない二人だが、生きていられるだけで幸せだと感じられる年齢になった。できる事なら妻のお父さんにも見せてあげたかったのだが、それも叶えられないのが現実。だが私はお父さんに挨拶した日の事を今も鮮明に覚えている。終始穏やかに接していただき、結婚に理解をしてくれたお父さんの笑顔を忘れる事はない。お父さん、笑美子は60歳になりましたよ。これからも見守ってあげてください。