間違いだらけの業界伝説❷

2022年6月25日

1988年当時の仕事仲間たち。前列左端が私(26歳)

前回の記事は、私がデザイン会社に入社して関った客先企業のダイエーについて綴った。今回はその続編を綴りたい。ダイエーの仕事に携わって初めに驚いた事は、ほぼ毎日制作依頼がある広告物=チラシを作るための作業環境がシステム化されていた事だ。時は1980年代の中頃。まだアナログ全盛の時代である。商品原稿は担当者の手書きが当たり前。商品名と規格、価格、簡単な説明文などが記載されていた。担当者は日々の業務で多忙なのか、殴り書きのような物もあった。また商品原稿には、使用する写真番号が付記されていた。写真番号とは、誰もがスピーディーに探せるようにと付けられた管理番号を示す。アナログそのもののやり方だったが、少しでも効率よくの想いが込められていたようだ。

販促物発注の打合せでは、商品原稿を元に発注担当者から企画主旨が説明される。その際には商品の写真もデザイナーに手渡される仕組みであった。打合せで支給される写真はポジフィルムといわれるもので、簡単に言えばネガフィルムの逆。別名はリバーサルフィルム。そのまま見ても写っている物が分かる仕組みのフィルムである。スライドをイメージいただくと良いかもしれない。また打合せにおいてポジフィルムが支給されない場合は写真の用意がない=撮影を要する事を意味していた。これについては産直市のような催事扱いの生鮮食品、モデルさんが着用して撮影する衣料品等である。

商品撮影は大きく分けて2パターンあった。①社内のスタジオ又はレンタルスタジオで撮影する場合。②客先や屋外などで撮影する場合。食品の撮影は殆どが①だった。主に社内のスタジオで撮影していた。撮影は写真部のカメラマンが担当する。まずはサンプルの引き取りから始まる。朝9時頃に会社を出発。担当するデザイナーが同乗するワンボックスカーで客先に出向いてサンプルを受け取る。その後は鮮度を保つため、帰社して冷蔵庫に保管、又は直ちに撮影していた。最も記憶に残る撮影は産直市の企画である。お肉や野菜などは撮影した後にいただく流れであった。鉄板で肉を焼いて生野菜と一緒にいただく。さながらバーベキューランチの様相であった。生鮮食品の撮影は、仕事をしながら食事も取れるというありがたいものであり、自分も恩恵にあずかった覚えがある。社内には焼肉の香りが充満したが、スタッフに連帯感が生まれて仕事の意欲も増していた。当時は誰もが仕事に忙殺される日々だったが、どうせやるなら楽しく仕事をしようという考え方になっていた。

生鮮食品以外では衣料品の撮影も楽しい思い出がある。モデルさんが着用しない商品は置き撮りという形で撮影する。置き撮りとは、文字通り床に置いて撮影するスタイルである。この場合はメーカーが撮影用サンプルを支給してくれていた。中には多過ぎるほどのサンプルを提供してくれるメーカーもあり、撮影後はカメラマンの裁量で、担当するデザイナーに配布されていた。半袖Tシャツにトレーナーやソックスなど。デザインに目を瞑ればとてもありがたいと感じていた。特に梅雨時や夏場など、ギリギリの生活をしていた自分にとってはひたすら嬉しいものだった。

一方で撮影が難しいと感じたものは女性のモデルさんを利用した衣料品の撮影である。何せ自分は男性である。女性のファッションなど詳しいはずがない。また当時は、仕事を回すだけで精一杯の状況だった。だが広告の世界にはありがたいプロがいる。それがスタイリストと呼ばれるプロである。衣料品の販促物制作は、スタイリストを使って撮影する事が多かった。当時依頼したスタイリストは、30代前半の女性。細身のパンツにショートカットがお似合いの方だった。この方はとてつもなく大きなバッグを持ってスタジオに現れる。ある時バッグの中を見せていただいた事があった。中には無数の撮影用道具が入っていた。化粧品やメイク道具はもちろんの事。その場で対応できるようにとインナーウエアや洋服までも入っていた。これだけ入っていたらずいぶん重いでしょうと尋ねたら「そうなんです、夏は汗だくです」フリーはつらいよの世界である。

スタイリストさんの仕事は多岐に渡る。商品のコーディネートからアクセサリーまで、全て自分で用意しなければならない。こちらが頼みすぎかなと思っても、大丈夫ですよと返してくるのがプロの証。時にはその場でアイロンがけをしたり、モデルさんのメイクもこなしていた。できる人の元に仕事が集まるのが世の常。たとえ重責でも、決して弱音を吐かない。スタイリストやコピーライターにはそういう人が多かった。

ダイエーの仕事に関わった事で多くの人と出会い、様々な事を教えていただいた。デザインのテクニックに留まらず、仕事への向き合い方、時間の使い方など多くを学んだ。そしてこれらは現在も、私自身の考え方の礎になっている。客先、同業者、同じ会社の先輩方や仲間たち。全ての人に感謝の言葉しかない。そして最後に出会ったのが妻である。妻はダイエーの販売促進部に勤務しており仕事を通じて出会った。僅か6年間の東京生活だったが、自分にとってはかけがえのない経験ばかりだ。人生は奇跡の連続。予期せぬ出会いが永遠の間柄になる事もある。出会った全ての人に感謝して生きる。たとえ現在が疎遠になっていても、その気持ちは決して変わらない。自分が誇れる唯一の事だから。

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