間違いだらけの業界伝説❹

2022年7月16日

FM愛知の番組情報誌。毎月作成するジオラマを表紙に採用していた。
当時在籍していた全メンバーが携わった唯一の仕事である。

業界の裏側を伝えるシリーズ記事も今回が最終回。はじめに独立以前から携わっていた放送業界の裏側を綴ってみたい。東海3県をエリアにおくラジオ局のFM愛知である。仕事のきっかけは、客先を増やそうと営業を仕掛けた事に起因する。部署は編成局、対応していただいた方はS次長さんであった。1時間ほどプレゼンして帰社したのだが、10日ほど後に仕事の依頼が来たのには驚いた。

後に次長さんから聞いた話では、私が責任感が強く感じられるから依頼したとのこと。以前に出入りしていた業者は雑な対応で切りたいと思っていたという。次長さんはお酒が好きな方で、何度も誘われた事がある。だが私は下戸である。ほんの少しのアルコールでも心臓バクバク状態。それでも仕事のためだと割り切り、毎度の誘いを受けていた。月末の金曜日。次長さんからお誘いがあり、お気に入りの割烹に来ませんかと電話があった。仕事は山のように残っていたが、自分の車を運転して出かけた。場所は繁華街から少し離れた静かなところである。業界の動向や社内の派閥争いなど、色々と伺った。2時間ほど経過してお開きとなった。行きがかり上、私の車で自宅までお送りしますとなった。今だから言うが、生まれて初めての飲酒運転である。万一事故でも起こしたら免許取り消しである。慎重に運転して無事に到着したが、正直に言えばとても怖かった。体内にアルコールが入ると、反射神経が鈍くなるからだ。ブレーキを踏むタイミングが遅くなっている事が自分でも分かった。ラジオ局の仕事では様々な体験をしたが、この人のために働くと誓った人はS次長さんだけである。それほどまでにお世話になったのだ。Sさん、ありがとうございました。

一時期だが自動車の販促業務を手伝って欲しいと要請があった。依頼主は印刷会社の次長さん、客先は東海地区では老舗の高級車を扱うトヨタディーラーである。ご指名を受けて以来数本の仕事をこなしていたのだが、ある時を境に身を引く決意を固めた。ことのきっかけは客先の部長さんが私に放った言葉である。「中川さん、企画提案は欲しいので、いくつでも提案してください。気に入れば料金を払います」???こちらとしては何を冗談をと言う感じである。企画は、提示した段階で料金が発生するのが常識である。それを気にいるか否かは客先の問題であり、受けた側には関係ない。客先の見解を言い換えれば「料理はどんどん持ってきてください。美味しければ代金を払います」と同じ事である。こんな理屈が罷り通る訳がない。あくまでも推測だが、仕事を依頼しているのだから、無料で企画提案して欲しいと言う事だろう。この話を聞いた翌日、私は客先の部長さんに会ってこう伝えた。私はプロです。10万円の仕事を20万円の価値があるように見せる事は可能です。但し無料の仕事は、社内でおやりになればよろしいのでは。その後今までのお礼を伝えて仕事から降りた。馬鹿な男だと思われるかもしれない。だが自分はそういう人間なのだ。恩義を受けた方には礼を尽くす。しかしそれを出汁にするような方にはさよならを告げる。プライドの問題ではない。人の心があるか。それが大切なのだ。

デザインの仕事を始めて以来楽しいと思った事は一度もない。むしろなぜこんな世界に足を踏み入れたのかと後悔するばかりだった。父親譲りの不器用な自分がデザイン業界で生きてこられたのは、唯々努力したからである。生まれついてそこそこの才能はあったが、プロとしては三流と言わざるを得ない存在だった。そしてもう一つ。素晴らしいお客様と温かい心の仲間たちに恵まれたこと。これが最も大きいだろう。東京時代の仕事仲間は、心の支えになってくれた家族のような存在である。残念ながら、今は疎遠になっている。だがいつの日か再会を果たしたい。次回からはフリー・マーケット・マスターとして記事を綴る。

design story,In My Life