いつかはクラウン。
いまさらクラウン?

2022年7月30日

高級車の代名詞的存在、トヨタ自動車のクラウンがフルモデルチェンジを果たした。オーナーズカーとして開発されたクラウンは1955年に初代モデルがデビュー。そして今回が16代目にあたる。これだけ長期に渡り生産された国産車は、クラウンとカローラだけではないだろうか。先頃発表会の映像とCMを見たが、いずれも期待はずれなものだった。率直な私の感想は何じゃこれは!?である。70歳を超えたジジイがハロウィンでヘビメタのロッカーに仮装しているようなイメージだ。そこで今回は商品開発と時代背景について考えてみたい。

はじめにクラウンは純国産設計車としてデビュー。その後は日本の高度成長期と共に歩んできた歴史あるクルマである。クラウンのユーザーは大きな変化を好まない保守的な高齢者が多いのが特徴。その開発コンセプトは、次代を見据えたスタイリングと先進機能を提供出来るクルマと位置付けられてきた。だがその実態は、徹底したリサーチに基づいて開発されるクルマなのだ。また辛口評論家曰く、トヨタピラミッドと呼ばれるラインナップの頂点に位置するクルマであり、高級車=クラウンのイメージを築き上げたといわれている。この結果、クラウンに乗る事が人生のゴールであるかのような「いつかはクラウン」という有名なキャッチコピーが作られた。

新しいクラウンが注目される理由はただ一つ。これが最後のクラウンになるかもしれないという噂が出ていたからである。昨今の高級車市場は大型SUVの人気が高く、地味なセダンは今ひとつの状態が続いてきている。その結果として、過去にはクラウンの弟分であるMARKll が生産終了になっている。それに同調して、もはやクラウンは時代遅れではないかという意見が出始めているのが実情だ。この見解はあながち間違っているとはいえない。クラウンのようにボディサイズが大きく、重量があるクルマは、それだけでも旧いイメージが付き纏う。かつてはペリメーターフレームという剛性が高いボディ構造であったが、昨今の軽量化志向でフレーム構造を廃止。フルモノコックボディになっている。またモデルチェンジの度に価格が跳ね上がるクラウンに見切りをつけるユーザーも多い。バブル期には、何でもいいから一番上のグレードを持って来いと注文するユーザーもいたようだが、もはや昔話になりつつある。

新しいクラウンのコンセプトは何だろうと考えてみたが、正直に言えばピンとこない。イメージカラーはブロンズとブラックの2トーンに仕上げられたモデルにディスカバーユアクラウンというキャッチフレーズ。マーケティングを齧った自分としては、この発想自体が旧いと言わざるを得ない。伝統を残しつつも新しい魅力づくりにチャレンジしましたと言いたいのだろうか。私には何でもありですと開き直ったコンセプトに思えてならない。

新しい魅力を作りましたというのは問題ないだろう。だがあのスタイリングでクラウンと言われてもしっくりこない。もし私が営業マンならば、売りにくいクルマと感じてしまうだろう。トヨタがクラウンという名前を残したい気持ちは理解できる。だが名前だけ残して中身は別物という考え方は無理があるものだ。やはり何事にも時代の風というものがある。夢よもう一度と延命治療を施す事にどれほどの意味があるというのか。有終の美でピリオドを打つ勇気も必要ではないだろうか。

新しいクラウンの価格帯は435万円〜640万円である。私ならば、これだけの費用を捻出してまでクラウンに乗りたいとは思わない。それほどの予算があるのなら、外国車を購入するか。いや、コンパクトクラスのEVを選択するだろう。これについては、維持費がかかるクルマは所有したくないという、若い人達の意識からも明白だ。またトヨタもそれに気づいており、キントに代表されるサブスクリプションを提案している。多様性の時代だ。新しいクルマだからという発想ではなく、自動車を所有する幸福感のリセットが必要な時代になってきている。私自身は60年生きてきたが、ようやく気づいた事がある。何かを成し遂げたいと思った時には、必ず立ちはだかる壁がある。そんな時は怒ったり嘆いたりせず、今までの価値観や意識を変えるようにしている。自分には高級車など無縁の存在。むしろ変速機がついた自転車を購入して風を切って走りたいと思っている。選択肢が多い人生。本来の生きる喜びを感じられるはずだ。

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