いつもギリギリ。

2022年9月3日

いつもそうだった。夏休みが終わりに近づくと、慌てて課題の制作に取り掛かっていた事を思い出す。小学生、中学生、高校時代、ずっと変わらずだった。今年こそはと計画を立てても、ギリギリまで何もせずだった。丑年生まれなので行動が遅い。だがスイッチが入ると、脇目も振らずの全開状態。バランス感覚に欠ける子供だった。この性格は大人になっても変わらなかった。その結果として、自分の体を労らず、大病を経験した。この写真は小学生の頃だろう。図画工作の時間。グループ制作した作品完成時の記念撮影。先生が撮影した写真だが、みんなの表情が素晴らしい。既にそれぞれの個性が表情に現れている。そこで今回は夏の思い出について綴りたい。

夏の思い出といえば、真っ先に浮かぶのが伊良湖の海水浴だ。父が運転するクルマで、家族揃って出かけた思い出は永遠の宝物。父のクルマは黄色のマークllハードトップ。スポーツカーのような雰囲気で、内装はブラックだった。当時のクルマはまだエアコンが付いていなかった。車内は走るサウナ状態。でも昭和の時代はこれが当たり前。だから私達の世代は我慢強い。そして体験を通じて、学ぶ意識が身についている。昨今の報道で多い、窓を締め切った状態で、車内に子供を残したままの親がいるなどあり得ない。夏休み最後の日曜日。見知らぬおじさんが話しかけてきた。「一緒に小魚を捕まえよう」私はどうすればいいのですか?と尋ねた。「両手のひらを上にしてごらん。そしてタオルを広げて、両手のひらを渡るように乗せて。この状態で海水を潜らせて小魚を掬うのさ」と教えてくれた。おじさんが言った通りにやってみた。海水を潜らせたタオルの上で小魚が跳ねているではないか。これは楽しい。掬った小魚はビニールプールの中に入れた後リリースした。見ず知らずの方から教わった遊びだが、あまりの楽しさに歓喜していた。

その後私が少年時代になると、海水浴ではなく、父と一緒に投げ釣りが目的になっていた。父は釣り好きで、ミミズのようなエサに針を通す事から教えてくれた。お父さん、ここから覚えないとだめなの?という私に対して、釣りはエサに針を通すことから始まり、釣った魚から針を外すところまでだと語っていた。気持ち悪いなぁと言いつつも実践。その甲斐あって、できるようになった。あの頃は、家族全員が元気で若かった。今思えば、それだけで十分だった。一瞬でもいい。あの頃に戻りたいなぁと思う時もある。

画像に写る子供たちは当時のクラスメートだ。上段左が礼子ちゃん。とても美人な女の子だった。上段センターが私。何事にも仕切りたがる子供だった。写真写りが悪いのは昔から。また姿勢が悪いなぁ。私の右が岩重(いわしげ)くん。いつもみんなを笑わせる人気者だった。下段左が鈴木くん。工作が得意だった。下段センターが千春ちゃん。笑顔が素敵な女の子だった。そして下段右が律子ちゃん。左胸にバッジを付けているので、クラス委員だったのだろう。とても勉強ができる女の子だった。この歳になっても、クラスメートの名前を覚えているのは、良い思い出として残っているからだろう。この写真を見る度に、5人は現在どうしているのだろうかという気持ちになる。私自身は県立高校に進学したものの、将来像が描けないまま卒業。その後は大学受験に失敗して浪人生活。このままでは、自分の居場所がみつけられないと判断。上京してグラフィックデザイナーを目指した。そんな私も既に還暦を超えている。

ブログを見てくださる皆様にお知らせがあります。私はこれから最後の仕事に取り掛かります。自ら設立した会社の最後の仕事です。これをきちんと終わらせるために、9月のブログ更新は不定期になります。そして10月8日から通常のサイクルに戻します。その際は、新しい友人を紹介します。

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