名は体を表す 髪型は個性を表す 2022年9月18日
報道によれば、近頃校則を見直す動きが加速していると聞く。この問題は今に始まったことではない。昭和生まれの私達の時代から引きずっている問題だ。根拠が曖昧で、意味不明な校則は誰のためにあるのか。またそれがなぜ必要なのか。それを今まで検証せず、見過ごしてきたツケが生じている。私に言わせれば校則は、教育の本質をはき違えているものが余りにも多い。それを生み出してきたのは、権威主義から抜け出せない旧い考え方の教師達である。根拠がない校則など誰も守ろうとは思わないだろう。そこで今回は私自身が体験した校則について綴ってみよう。
私は1961年の生まれ。日本が戦後から脱却して、世界一の工業国になりつつある時代に育った。当時はどの家にも、三種の神器と呼ばれる物が備わりつつあった。三種の定義は様々だが、定番は冷蔵庫、クーラー(エアコンではない)、自動車である。当時は家にある物の数が豊かさの基準でもあったのだ。私自身は地元中学を卒業して県立高校に進学した。入学した高校は三年前に出来たばかりの新設校。しかも教育開発校に指定されていた。教育開発校とは、AV機器を活用して、学習能力向上を目指す学校を示す。歴史や倫理社会などの授業は視聴覚室で行われていた。新しい教育方針を掲げる学校と言われていたが、一方では生徒の個性を否定する弾圧的行為も行われていた。それが頭髪と服装検査である。これは朝礼の際に月一で実施されていた。生徒指導部の教師が一人一人の髪型と制服をチェックするものだ。男子生徒は髪の毛が耳にかかるとアウト。再検査を受けることになる。私は当時から長めの髪型だったので、検査当日はヘアゼリーで固めて長く見えないように偽装していた。旧い感覚のおっさん教師にああだこうだと言われるのは腹立たしい。絶対にパスしてやると臨んでいた。元より頭髪検査など、時代錯誤も甚だしい。誰もがここは軍隊かよと思っていたはずだ。
検査と言えば他にもあった。女生徒を対象にした、スカート丈の検査である。これは地面にクズ入れを置き、スカートが触れないかを判定するものだ。当時はマキシ丈が流行し始めていた時代。スカートの丈が長いというだけで、不良の前兆と思われていたようだった。長いスカート=女番長のイメージだろうか。短絡的発想の極み。おっさん教師の思いつきで始めたのだろう。現代であれば、人権侵害になりかねない。生徒を枠にはめて、模範的外見を押し付けようとする学校。そんな教育方針はおかしいと指摘する教師もいたが、指導部長に目をつけられないようにと及び腰だった。新たな教育方針に期待して入学したものの、その実態は厳し過ぎる校則だけだったのかと落胆した。私自身の高校時代は、耐えて忍ぶ三年間。タバコや酒には一切手を出さず、喧嘩や揉め事を起こしたこともなかった。卒業するまでは忍の一字で過ごす。親には絶対迷惑をかけないの決意だった。ただ当時から、口は達者だったかな。
高校卒業直後、私は髪を伸ばし始めた。その後グラフィックデザイナーを目指して上京。美容室で初めてパーマをかけた。時は1980年四月である。ホビーショップでアルバイトをしながら、デザイン学校に通っていた時代。寂しさが募る一人暮らし立ったが、未来は自ら切り開くを信念に、やりくりする楽しさも味わった。私の成人以来の髪型は、高校時代の反発が原点になっている。集団で学ぶ以上、ある程度のルールは必要だろう。だが、生徒の人格を否定したり、個性を奪う権利まではないはずだ。教育を生業にしている方、また今後教師を目指す方は、生徒を信じることから始めていただきたい。
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2022年9月18日
報道によれば、近頃校則を見直す動きが加速していると聞く。この問題は今に始まったことではない。昭和生まれの私達の時代から引きずっている問題だ。根拠が曖昧で、意味不明な校則は誰のためにあるのか。またそれがなぜ必要なのか。それを今まで検証せず、見過ごしてきたツケが生じている。私に言わせれば校則は、教育の本質をはき違えているものが余りにも多い。それを生み出してきたのは、権威主義から抜け出せない旧い考え方の教師達である。根拠がない校則など誰も守ろうとは思わないだろう。そこで今回は私自身が体験した校則について綴ってみよう。
私は1961年の生まれ。日本が戦後から脱却して、世界一の工業国になりつつある時代に育った。当時はどの家にも、三種の神器と呼ばれる物が備わりつつあった。三種の定義は様々だが、定番は冷蔵庫、クーラー(エアコンではない)、自動車である。当時は家にある物の数が豊かさの基準でもあったのだ。私自身は地元中学を卒業して県立高校に進学した。入学した高校は三年前に出来たばかりの新設校。しかも教育開発校に指定されていた。教育開発校とは、AV機器を活用して、学習能力向上を目指す学校を示す。歴史や倫理社会などの授業は視聴覚室で行われていた。新しい教育方針を掲げる学校と言われていたが、一方では生徒の個性を否定する弾圧的行為も行われていた。それが頭髪と服装検査である。これは朝礼の際に月一で実施されていた。生徒指導部の教師が一人一人の髪型と制服をチェックするものだ。男子生徒は髪の毛が耳にかかるとアウト。再検査を受けることになる。私は当時から長めの髪型だったので、検査当日はヘアゼリーで固めて長く見えないように偽装していた。旧い感覚のおっさん教師にああだこうだと言われるのは腹立たしい。絶対にパスしてやると臨んでいた。元より頭髪検査など、時代錯誤も甚だしい。誰もがここは軍隊かよと思っていたはずだ。
検査と言えば他にもあった。女生徒を対象にした、スカート丈の検査である。これは地面にクズ入れを置き、スカートが触れないかを判定するものだ。当時はマキシ丈が流行し始めていた時代。スカートの丈が長いというだけで、不良の前兆と思われていたようだった。長いスカート=女番長のイメージだろうか。短絡的発想の極み。おっさん教師の思いつきで始めたのだろう。現代であれば、人権侵害になりかねない。生徒を枠にはめて、模範的外見を押し付けようとする学校。そんな教育方針はおかしいと指摘する教師もいたが、指導部長に目をつけられないようにと及び腰だった。新たな教育方針に期待して入学したものの、その実態は厳し過ぎる校則だけだったのかと落胆した。私自身の高校時代は、耐えて忍ぶ三年間。タバコや酒には一切手を出さず、喧嘩や揉め事を起こしたこともなかった。卒業するまでは忍の一字で過ごす。親には絶対迷惑をかけないの決意だった。ただ当時から、口は達者だったかな。
高校卒業直後、私は髪を伸ばし始めた。その後グラフィックデザイナーを目指して上京。美容室で初めてパーマをかけた。時は1980年四月である。ホビーショップでアルバイトをしながら、デザイン学校に通っていた時代。寂しさが募る一人暮らし立ったが、未来は自ら切り開くを信念に、やりくりする楽しさも味わった。私の成人以来の髪型は、高校時代の反発が原点になっている。集団で学ぶ以上、ある程度のルールは必要だろう。だが、生徒の人格を否定したり、個性を奪う権利まではないはずだ。教育を生業にしている方、また今後教師を目指す方は、生徒を信じることから始めていただきたい。