ハローグッドバイ 2022年9月25日
9月8日の夕方頃、英国のエリザベス女王(96)が静養先で亡くなられた。高齢になられていたこともあり、英国では万一に備えて万全の体制を敷いていた矢先の訃報であった。長期に渡り公務を務めたエリザベス女王の功績は計り知れないほど大きい。そこで今回は、僭越ながらエリザベス女王について綴らせていただきたい。
エリザベス女王といえば、一番に思い浮かぶのがあの上品な笑顔。そしてお洒落な洋服をお召しになっていたことだろうか。ロイヤルブルーやピンク、レッドやグリーンなど。明るいカラーの洋服を着ておられた印章が強い。そして服だけでなく、帽子やバッグ、ブローチなども含めて同じ色調でコーディネートされていた。これはワントーンコーディネートと呼ばれているものだ。この手法は、周囲の人々に自身の存在が瞬時に分かるようにと配慮されたものである。但しその意味合いは、威厳を示すためではない。女王に会いに来てくれた方々に対して、私はここにいますよと伝える意味を持つ。一般に歳を重ねると、地味な色合いを好む傾向が強いといわれるが、女王はその逆を貫いている。たとえビビッドな色合いでも着こなしてしまう。それがまた、よく似合っているのだ。おしゃれで上品な女王の笑顔を見ると、誰もがファンになってしまうのも頷ける。
女王の氏名はエリザベス・アレクサンドラ・メアリー。1926年4月21日生まれ。25歳の若さで即位された。上の写真は17歳の時である。既に聡明な大人の女性の顔になっている。報道でご存知の方もいると思うが、即位の際の宣誓内容は以下の通り。「私は私の全生涯を、たとえ長かろうと短かろうと、あなた方と我々の全てが属する、偉大な威厳ある国家に捧げる決意であることを宣誓いたします」どこぞの国会議員のような、口先だけの軽々しい言葉ではない。王位の責任を全うする覚悟を示した言葉である。在位期間は70年7ヶ月という長期に渡る。90歳を超えても公務に意欲を示して、亡くなる直前まで遂行されていたという。正に有言実行の生涯であった。これこそが君主の使命であり、世界中から尊敬された所以だろう。因みに即位期間一位はフランスのルイ14世、72年と110日。エリザベス女王が存命されていたら、間違いなく一位になっていた。
ご逝去の報道を見て感じたことがある。それは英国民の女王に対する尊敬と深い愛情である。女王の棺を乗せた霊柩車がバッキンガム宮殿に向かう際。対向車線の全ての車が停車していたこと。ある人は、ハザードランプを点滅させて弔意を示していたこと。そして多くの人が車を降りて、沿道から見送っていた。またある人は、自分の祖母が亡くなった気分だよと語っていた。この発言から、王室は崇め奉るものではなく、家族のような存在になっていたことが伺える。そして霊柩車が到着した際は、人々から大きな歓声と惜しみない拍手が送られていた。それぞれが思い思いのスタイルで弔意を示していた映像は、とても感動的なものだった。
★来日時のパレード(1975年)
女王は当時49歳。女王の右は、夫のフィリップ殿下。殿下は昨年死去されている。
https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000268286.html
生前の女王の発言は力強くユーモアに溢れており、人々を楽しませたいという心遣いが感じられた。最も有名な話はロンドンオリンピックの開会式、007の演出で登場したことだろう。聞くところによれば、ご自身が演じることを条件に、出演を了承されたという。これは英国だから実現できたこと。日本ならば賛否両論だろう。ところでエリザベス女王は、1975年に来日されている。この時は新幹線に乗車を希望され、ホームへ到着する様子を見たいといわれたという。これについては予定外のご希望であり、関係者を慌てさせた。また伊勢志摩へ向かう際は近鉄特急に乗車され、停車駅では運転士を呼び寄せて謝意を示し、記念品を贈呈されたという。また真珠島では海女の潜水をご覧になり、風邪をひかないように、早く海から上げてあげてくださいと気遣われていたという。要人のみならず、誰にも気遣いを見せる女王の優しさでファンになった方は多い。東京では歓迎パレードも行われた。沿道に集まった人は11万人といわれている。女王の服装は日本の国旗を連想させる赤と白のコーディネート。両国の共通点を挙げて、友好関係を強調したスピーチを行った。女王の気遣いに溢れた印象を日本国民に植え付けた。
来る9月19日の午前11時(日本時間19時)女王は国葬で旅立たれる。その際にはサプライズがあるのではないかと噂されている。それは葬儀の中で、ビートルズの楽曲が流れるかもしれないというものである。女王はビートルズのファンであり、1965年10月26日ビートルズにM.B.E.勲章を授けている。これについては裏話がある。叙勲を知らせを聞いた際、ビートルズのメンバーは、あまり乗り気でなかったという。その理由はビートルズの叙勲を知り、勲章を返上する人が続出したからだ。「自分達は英雄だ。それをあんな若造達と同じ扱いにするのはけしからん」と感じたのだろうか。これを聞いたメンバーは、逆に叙勲を受けることを決意したという。その理由は、ジョン・レノンの言葉に表れている。「奴らは戦争で人を殺してもらったのだろう。でも僕らは人々を楽しませてもらうのさ。僕らの方がもらう資格があるはずだ」伝統と威厳を重んじる英国からデビューして、世界を席巻したビートルズ。その図式はとても興味深いものだが、批判に対して即座に皮肉で返す能力があることを見せつけた。それもまた、彼らの魅力なのだ。
ブログを綴って以来、様々な出来事に遭遇している。そして時には今回のような、時代が変わる訃報に接することもある。だがこれが生きている証なのだろう。永遠に存在するものなどないのだ。エリザベス女王の来日当時、特別な感慨などなかった私だが、この歳になると、時代の節目に接している実感がある。人生は儚い。そして流れゆく時を愛おしく想うようになった。女王が目指したものは、開かれた王室であった。そしてその実現には、自ら動いて多くの人と会うことが大切だと述べておられる。王室の歴史はチャールズ国王に引き継がれる。長きに渡り、女王陛下の素晴らしい笑顔を拝見できました。ありがとうございました。
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2022年9月25日
9月8日の夕方頃、英国のエリザベス女王(96)が静養先で亡くなられた。高齢になられていたこともあり、英国では万一に備えて万全の体制を敷いていた矢先の訃報であった。長期に渡り公務を務めたエリザベス女王の功績は計り知れないほど大きい。そこで今回は、僭越ながらエリザベス女王について綴らせていただきたい。
エリザベス女王といえば、一番に思い浮かぶのがあの上品な笑顔。そしてお洒落な洋服をお召しになっていたことだろうか。ロイヤルブルーやピンク、レッドやグリーンなど。明るいカラーの洋服を着ておられた印章が強い。そして服だけでなく、帽子やバッグ、ブローチなども含めて同じ色調でコーディネートされていた。これはワントーンコーディネートと呼ばれているものだ。この手法は、周囲の人々に自身の存在が瞬時に分かるようにと配慮されたものである。但しその意味合いは、威厳を示すためではない。女王に会いに来てくれた方々に対して、私はここにいますよと伝える意味を持つ。一般に歳を重ねると、地味な色合いを好む傾向が強いといわれるが、女王はその逆を貫いている。たとえビビッドな色合いでも着こなしてしまう。それがまた、よく似合っているのだ。おしゃれで上品な女王の笑顔を見ると、誰もがファンになってしまうのも頷ける。
女王の氏名はエリザベス・アレクサンドラ・メアリー。1926年4月21日生まれ。25歳の若さで即位された。上の写真は17歳の時である。既に聡明な大人の女性の顔になっている。報道でご存知の方もいると思うが、即位の際の宣誓内容は以下の通り。「私は私の全生涯を、たとえ長かろうと短かろうと、あなた方と我々の全てが属する、偉大な威厳ある国家に捧げる決意であることを宣誓いたします」どこぞの国会議員のような、口先だけの軽々しい言葉ではない。王位の責任を全うする覚悟を示した言葉である。在位期間は70年7ヶ月という長期に渡る。90歳を超えても公務に意欲を示して、亡くなる直前まで遂行されていたという。正に有言実行の生涯であった。これこそが君主の使命であり、世界中から尊敬された所以だろう。因みに即位期間一位はフランスのルイ14世、72年と110日。エリザベス女王が存命されていたら、間違いなく一位になっていた。
ご逝去の報道を見て感じたことがある。それは英国民の女王に対する尊敬と深い愛情である。女王の棺を乗せた霊柩車がバッキンガム宮殿に向かう際。対向車線の全ての車が停車していたこと。ある人は、ハザードランプを点滅させて弔意を示していたこと。そして多くの人が車を降りて、沿道から見送っていた。またある人は、自分の祖母が亡くなった気分だよと語っていた。この発言から、王室は崇め奉るものではなく、家族のような存在になっていたことが伺える。そして霊柩車が到着した際は、人々から大きな歓声と惜しみない拍手が送られていた。それぞれが思い思いのスタイルで弔意を示していた映像は、とても感動的なものだった。
★来日時のパレード(1975年)
女王は当時49歳。女王の右は、夫のフィリップ殿下。殿下は昨年死去されている。
https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000268286.html
生前の女王の発言は力強くユーモアに溢れており、人々を楽しませたいという心遣いが感じられた。最も有名な話はロンドンオリンピックの開会式、007の演出で登場したことだろう。聞くところによれば、ご自身が演じることを条件に、出演を了承されたという。これは英国だから実現できたこと。日本ならば賛否両論だろう。ところでエリザベス女王は、1975年に来日されている。この時は新幹線に乗車を希望され、ホームへ到着する様子を見たいといわれたという。これについては予定外のご希望であり、関係者を慌てさせた。また伊勢志摩へ向かう際は近鉄特急に乗車され、停車駅では運転士を呼び寄せて謝意を示し、記念品を贈呈されたという。また真珠島では海女の潜水をご覧になり、風邪をひかないように、早く海から上げてあげてくださいと気遣われていたという。要人のみならず、誰にも気遣いを見せる女王の優しさでファンになった方は多い。東京では歓迎パレードも行われた。沿道に集まった人は11万人といわれている。女王の服装は日本の国旗を連想させる赤と白のコーディネート。両国の共通点を挙げて、友好関係を強調したスピーチを行った。女王の気遣いに溢れた印象を日本国民に植え付けた。
来る9月19日の午前11時(日本時間19時)女王は国葬で旅立たれる。その際にはサプライズがあるのではないかと噂されている。それは葬儀の中で、ビートルズの楽曲が流れるかもしれないというものである。女王はビートルズのファンであり、1965年10月26日ビートルズにM.B.E.勲章を授けている。これについては裏話がある。叙勲を知らせを聞いた際、ビートルズのメンバーは、あまり乗り気でなかったという。その理由はビートルズの叙勲を知り、勲章を返上する人が続出したからだ。「自分達は英雄だ。それをあんな若造達と同じ扱いにするのはけしからん」と感じたのだろうか。これを聞いたメンバーは、逆に叙勲を受けることを決意したという。その理由は、ジョン・レノンの言葉に表れている。「奴らは戦争で人を殺してもらったのだろう。でも僕らは人々を楽しませてもらうのさ。僕らの方がもらう資格があるはずだ」伝統と威厳を重んじる英国からデビューして、世界を席巻したビートルズ。その図式はとても興味深いものだが、批判に対して即座に皮肉で返す能力があることを見せつけた。それもまた、彼らの魅力なのだ。
ブログを綴って以来、様々な出来事に遭遇している。そして時には今回のような、時代が変わる訃報に接することもある。だがこれが生きている証なのだろう。永遠に存在するものなどないのだ。エリザベス女王の来日当時、特別な感慨などなかった私だが、この歳になると、時代の節目に接している実感がある。人生は儚い。そして流れゆく時を愛おしく想うようになった。女王が目指したものは、開かれた王室であった。そしてその実現には、自ら動いて多くの人と会うことが大切だと述べておられる。王室の歴史はチャールズ国王に引き継がれる。長きに渡り、女王陛下の素晴らしい笑顔を拝見できました。ありがとうございました。