また一つ思い出が欠けていく。

2022年10月30日

ザ・ドリフターズの仲本工事さんが交通事故で死去された。去る2004年にはいかりや長介さん、また2020年には志村けんさんが死去されている。これでドリフは二人だけになってしまった。時が流れて著名人が亡くなるのは致し方ない。だが子供時代からあこがれのドリフが、一人、また一人と欠けていくのはとても切ない。今回は仲本工事さんの死去を悼み、ドリフの思い出を綴りたい。

ザ・ドリフターズを知らない方はいないだろう。毎週土曜夜8時から公開生放送のバラエティ番組「8時だョ!全員集合」で絶大な人気を誇ったコントグループである。昭和のお笑いといえば、ドリフの全員集合が真っ先に思い浮かぶ。それが私の世代である。全国ネットの公開生放送。放送は全803回。平均視聴率27.3%、最高視聴率50.5%という驚くべき数字を誇る。若い世代から見たドリフは、年老いた過去のタレントという印象かもしれない。だがドリフは生粋のお笑いタレントではない。元々はミュージシャンである。その後コントやギャグを取り入れた音楽バンドとして活動を広げていったのだ。ミュージシャンにとり、歌と楽器演奏はお手のもの。その証拠として、1966年に開催されたビートルズの来日公演では、前座を務めている。そしてここが面白いのだが、ビートルズの来日公演を観に来ていたのが、後にドリフのメンバーとなる志村けんさんという事実に繋がっていく。コント番組の中では、たまにバンド演奏を披露していたこともあった。いかりやさんがベース、高木さんと仲本さんがギター。そして加藤さんがドラムス、志村さんがギターorキーボードを担当していた。楽器を手にしたドリフは正に水を得た魚であり、メンバーも楽しそうだった。

「8時だョ!全員集合」で一世を風靡したドリフだが、メンバーに不協和音が感じられた時期もあった。それは全員集合の放送終了後、ドリフのメインになっていた「ドリフ大爆笑」全盛期の頃である。いかりやさんVS志村さん・加藤さんの様相を呈していた。原因は色々あった。ギャラの取り分に対する不満。いかりやさんが示す方向性への不満。また全員集合時代に発覚したある問題に対して、志村さんと仲本さんだけが矢面に立たされたことなどである。それらの対立構造は、いかりやさんの考えるコントに対して、志村さんと加藤さんが出演しないという事態に発展。視聴者に不仲を示すことになってしまった。当時の番組関係者によれば、ドリフは二手に分かれて収録していたという。そしてこの問題の解決には、長い時間を要した。お互いの心情が分かっている間柄だから、揉め事が大きくなることもある。グループとはそういうものだ。

上の画像は「ドリフ大爆笑」における雷様のコントである。世間話をネタに高木さんと仲本さんが歌と演奏を披露。いかりやさんがツッコミを入れる。オチに応じて誰かがベンチから転げ落ちるというものだった。リアルタイムで見た時は、全く面白くないと思ったが、改めて見ると、メンバーの個性が良く出ていて面白いと感じる。ドリフのコントは、見る側の成長により、見方が変わってくるようだ。志村さんが亡くなってはや2年。加藤さんはようやく受け入れる気持ちが出来たという矢先の訃報。また一人旅立ってしまった。残された加藤さんと高木さんの心中察するに余りある。だが僕の心の中では、今もドリフは現役だ。たとえ将来全員が亡くなっても、彼らの届けてくれた笑いは永遠のもの。笑いのクリエイターに対して、涙で送るのは失礼だと考える。ここは笑ってさようならと伝えたい。仲本さん、ありがとう。僕はこちらでまだまだ笑わせていただきます。

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