名古屋特集②
自分的には四番といえば落合さん 

2023年5月22日

かつては熱烈な中日ファンだったが、今はどこのチームのファンでもない。元よりプロ野球に興味がなくなりつつある。その理由は様々だ。試合時間が長すぎて、野球中継を見る気が起きない。また地上波のプロ野球中継は、CMの詰め込みすぎ。時間切れの尻切れトンボに嫌気がさしている。アナウンサーの実況が耳障りだと感じることも多い。そして最大の理由は個性的な選手が現れなくなったことだ。今回は元中日監督の落合さんを綴らせていただく。

私がグラフィックデザイナーを目指して東京で一人暮らしを始めた頃はプロ野球が一番人気。今だからいうが東京人があまり好きではなかったので、中日を応援するのが必然でもあった。当時のドラゴンズは、ビンボー臭いイメージ。強いチームを作りたいなど到底考えていないだろうなと思っていた。そこそこ人気があり新聞の拡販に繋がれば良い。そんな魂胆が見え見えの球団経営では優勝など夢のまた夢。中日ファンの誰もがそう思っていた。その体質が一変したのは1986年。今は亡き星野仙一さんが監督に就任された時だ。ウワサはあったものの、報道されるまでは信じられなかった。星野さんの就任直後最も印象に残ったことは、ドジャースのデザインに似せた新ユニフォームの採用。白地に筆記体でロイヤルブルーのロゴタイプ。とても良いデザインだと感じた。開幕戦は東京ドーム。ビジター用のユニフォームは薄いグレーのシャツとパンツ。これにブルーのロゴも似合っていた。何よりも強いチームのイメージが出ている。放映当日テレビを見ていた巨人ファンの友人が「めちゃくちゃカッコいいじゃないか」と褒めてくれた。

そして極め付けは落合さんの獲得である。世紀のトレードと称された内容は是大未聞の1対4。落合さん一人に対して、中日から牛島、上川、平沼、桑田の四人が出ていくことになった。牛島さんといえば当時大活躍のストッパーである。おいおい、四人も出して良いのかと思ったファンも多いはず。聞くところによれば、小松辰雄も出せないかとロッテは打診したそうだ。三度の三冠王を成し遂げた落合さんの価値はそれほど絶大だったのだ。こうして世紀のトレードは成立。私はこのニュースを知り翌朝スポーツ新聞を買って山の手線の車内でニヤニヤしながら読んでいた。四人を出しても落合さんを獲得すると決意した中日の意気込み。そして自分一人のために四人を出す中日に移籍を決意した落合さん。両者の想いが一致した結果である。因みに牛島さんが名古屋を離れる日のこと。星野さんは名古屋駅まで見送りに来ていたことがニュースで報じられた。星野さんが牛島さんを想う気持ちがひしひしと感じられたものだ。トレードの成否はご存知の通り。中日は1988年にリーグ優勝を遂げた。当時の自分の周りは全て東京生まれの人ばかり。それ故に中日と共に戦っている気分が東京生活に勇気を与えてくれたのかもしれない。

自分にとり落合さんの魅力は、卓越した技術に加えて揺るがないプロ意識が挙げられる。現役当時三冠王を狙う心境を聞かれた落合さんは「相手がどうのこうのと分析しても三冠王は獲れません。要は自分が一番上の結果を出せば良いだけですから」インタビュアーの質問をサラリと交わす軽妙なやり取り。勝負に対する心の在り方を確立しているプロフェッショナルだと分かる。そして1円でも高い報酬を払ってくれるチームへ行くと宣言する高いプロ意識。有言実行のお手本のような存在である。だが中日時代の落合さんは体力的にピークを過ぎており、四度目の三冠王は成し遂げられなかった。それでも終わらないのが落合さんの凄いところ。現役引退後は中日の監督に就任。8年で4回のリーグ優勝と日本一を成し遂げた功績は稀代の名監督と言ってよい。星野監督時代の四番を務めたことが、少なからず監督業に役立ったのではないか。落合監督は星野さんのように怒鳴り散らすことはなく、終始沈着冷静な采配に徹した。これが強い中日を築き上げたのだろう。だが2011年に落合さんは中日を去り、近年には星野さんも亡くなってしまった。そしていつしか自分も、プロ野球に興味を失った。

子供の頃は中日球場(現ナゴヤ球場)の外野席で観戦するのが一番の楽しみであった。友達と出かける時は母親におにぎりを作ってもらいリュックに忍ばせた。それを食べても足りない時は、バックスクリーン裏の売店でアメリカンドッグやソース焼きそばを買って食べていた。たまに観戦を共にした父も星野さんも既にこの世にいない。プロ野球やドラゴンズが決して嫌いになった訳ではない。今は生きることだけに集中したい。思い出は心の中に生き続けている。それだけで十分幸せだ。

☆中日×巨人 斎藤茫然‼︎「奇跡のサヨナラスリーラン」(1989年8月19日)
https://m.youtube.com/watch?v=94bM5vVAxyI

ナゴヤ球場売店

 

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