そこまで喋る必要はなかった2023年8月20日
webやyoutubeなどを利用して、著名人が情報発信するのが当たり前の時代になってきている。それはとても良いことではあるが、時には社会的問題に発展することもある。今回はメディアとプライバシーについて綴ろう。
先日のこと。タレントのりゅうちぇるさんが亡くなった。報道によれば自殺らしい。彼はまだ27歳で子供がいるという。ではなぜ自殺を図ったのだろうか。彼は男性だが、スレンダーな体型で女性的な顔立ち。女性よりも女性らしいオトコのイメージが強かった。彼が亡くなる数カ月前に離婚を発表した際のコメントをテレビで見た。自分は男性であるが、心は女性であることを苦悩しており、それを断ち切るために離婚を決意したというものだった。いわゆる性的マイノリティを告白したのである。これを見て私が感じたことは、そもそも自身の心の内を世間に晒す必要があったのかということだ。
これについては冒頭に記述した通り。昨今はメディアを活用して自身の考え方を発信する傾向が非常に強い。従って彼も同じことをしただけという感覚かもしれない。だが発信した情報を世間が正しく理解してくれるとは限らない。共感を得られる場合もあるが、非難轟々になることもある。情報を発信する前に、理解が得られるかを検証したのかという疑問が残る。私の見解はりゅうちぇるさんが自分を開放するために、ストレートな想いを喋りすぎた感がある。その結果として一部の人の反発を買い、誹謗中傷する人が続出したのではないか。自分勝手なやつだ。奥様と子供がいるのに無責任すぎる!そんな声がネット上で聞かれた。世間の理解を得るために発信したつもりが、逆の結果を招いたと失望。若い彼は非難の重圧に耐えきれず、命を絶ったのではないか。
改めて現状を鑑みると、日本は性的マイノリティに対する理解が極めて乏い。近寄りたくない。気持ち悪いという感覚が殆どのようだ。理解できない=全否定という考え方がイジメや誹謗中傷を招く一番の要因だ。聞くところによれば、りゅうちぇるさんはSNS上で死ねと頻繁に書きこみされていたという。一つだけ訴えたいのは、人の心ほどデリケートで難解なものはないということだ。己の考えが世間の考えと一致せず、苦悩するのは誰しも同じ。人は常に社会における立ち位置を検証しながら生きている。そして真面目で繊細な人ほど批判の声に潰されやすい。集団的な誹謗中傷が彼の心を著しく傷つけた結果、自殺しか選択肢がないと判断したのだろう。自殺防止のため相談窓口が増えてはいるが、その状況は一人一人で異なるのが実情である。親身になって対応するのは容易くないだろう。私は様々な体験があるりゅうちぇるさんのような方が担うべきと思っていたのだが。
今から15年前。私の高校時代の同級生が亡くなった。自殺らしい。彼はれっきとした男性であったが、その表情や仕草に女性的な部分もあった。私と彼は友人だったので、下校時は学校から最寄りの駅まで談笑した間柄。彼は明るい性格だったが、どこか憂いがある部分もあったと記憶している。今思えば彼は性的マイノリティではなかったか。たとえそうだとしてもどうでもいいこと。大切な友人にかわりはない。従って本人に聞くことはなかったし、聞く必要もないと思っていた。そして卒業から30年後。彼は自ら命を絶ったのだ。聞くところによれば、性別を巡って心の在り方で苦悩していたという。この際言わせていただく。人は役目を担って生まれてくる。自殺などせずに生き抜いてほしかった。誰しも他人に言えない苦悩があるのは理解できる。だが彼は他の人にはない魅力があった。人の数だけ生き方があるはずだ。自分の思うままに生きる。それで十分ではないか。
かくいう私もこんな体験がある。10年ほど前のこと。あるところで見知らぬおっさんからこう言われた。「なんだお前は!髪は長いし、女みたいな顔しやがって」黙殺しようと思ったが、ここはひとつ遊んでやろうと思った。「すいませんね。ですがあんたみたいな不細工顔よりよっぽど良いと思いますが。そんな狭い了見では誰も寄り付かないですよ」この一言でおっさんは無言になった。人は誰しもコンプレックスを持っている。そして自分が明らかに劣ると感じた相手には、いちゃもんをつけてくるものだ。私自身は身も心も男性であるが、若い頃からしょっちゅう揶揄されてきたので、振り払い方が身についている。だからこの歳まで生きてこられた。大切なことは自分と向き合い受け入れること。そして苦悩すら楽しむ勇気を持つこと。りゅうちぇるさんのご冥福をお祈りします。
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2023年8月20日
webやyoutubeなどを利用して、著名人が情報発信するのが当たり前の時代になってきている。それはとても良いことではあるが、時には社会的問題に発展することもある。今回はメディアとプライバシーについて綴ろう。
先日のこと。タレントのりゅうちぇるさんが亡くなった。報道によれば自殺らしい。彼はまだ27歳で子供がいるという。ではなぜ自殺を図ったのだろうか。彼は男性だが、スレンダーな体型で女性的な顔立ち。女性よりも女性らしいオトコのイメージが強かった。彼が亡くなる数カ月前に離婚を発表した際のコメントをテレビで見た。自分は男性であるが、心は女性であることを苦悩しており、それを断ち切るために離婚を決意したというものだった。いわゆる性的マイノリティを告白したのである。これを見て私が感じたことは、そもそも自身の心の内を世間に晒す必要があったのかということだ。
これについては冒頭に記述した通り。昨今はメディアを活用して自身の考え方を発信する傾向が非常に強い。従って彼も同じことをしただけという感覚かもしれない。だが発信した情報を世間が正しく理解してくれるとは限らない。共感を得られる場合もあるが、非難轟々になることもある。情報を発信する前に、理解が得られるかを検証したのかという疑問が残る。私の見解はりゅうちぇるさんが自分を開放するために、ストレートな想いを喋りすぎた感がある。その結果として一部の人の反発を買い、誹謗中傷する人が続出したのではないか。自分勝手なやつだ。奥様と子供がいるのに無責任すぎる!そんな声がネット上で聞かれた。世間の理解を得るために発信したつもりが、逆の結果を招いたと失望。若い彼は非難の重圧に耐えきれず、命を絶ったのではないか。
改めて現状を鑑みると、日本は性的マイノリティに対する理解が極めて乏い。近寄りたくない。気持ち悪いという感覚が殆どのようだ。理解できない=全否定という考え方がイジメや誹謗中傷を招く一番の要因だ。聞くところによれば、りゅうちぇるさんはSNS上で死ねと頻繁に書きこみされていたという。一つだけ訴えたいのは、人の心ほどデリケートで難解なものはないということだ。己の考えが世間の考えと一致せず、苦悩するのは誰しも同じ。人は常に社会における立ち位置を検証しながら生きている。そして真面目で繊細な人ほど批判の声に潰されやすい。集団的な誹謗中傷が彼の心を著しく傷つけた結果、自殺しか選択肢がないと判断したのだろう。自殺防止のため相談窓口が増えてはいるが、その状況は一人一人で異なるのが実情である。親身になって対応するのは容易くないだろう。私は様々な体験があるりゅうちぇるさんのような方が担うべきと思っていたのだが。
今から15年前。私の高校時代の同級生が亡くなった。自殺らしい。彼はれっきとした男性であったが、その表情や仕草に女性的な部分もあった。私と彼は友人だったので、下校時は学校から最寄りの駅まで談笑した間柄。彼は明るい性格だったが、どこか憂いがある部分もあったと記憶している。今思えば彼は性的マイノリティではなかったか。たとえそうだとしてもどうでもいいこと。大切な友人にかわりはない。従って本人に聞くことはなかったし、聞く必要もないと思っていた。そして卒業から30年後。彼は自ら命を絶ったのだ。聞くところによれば、性別を巡って心の在り方で苦悩していたという。この際言わせていただく。人は役目を担って生まれてくる。自殺などせずに生き抜いてほしかった。誰しも他人に言えない苦悩があるのは理解できる。だが彼は他の人にはない魅力があった。人の数だけ生き方があるはずだ。自分の思うままに生きる。それで十分ではないか。
かくいう私もこんな体験がある。10年ほど前のこと。あるところで見知らぬおっさんからこう言われた。「なんだお前は!髪は長いし、女みたいな顔しやがって」黙殺しようと思ったが、ここはひとつ遊んでやろうと思った。「すいませんね。ですがあんたみたいな不細工顔よりよっぽど良いと思いますが。そんな狭い了見では誰も寄り付かないですよ」この一言でおっさんは無言になった。人は誰しもコンプレックスを持っている。そして自分が明らかに劣ると感じた相手には、いちゃもんをつけてくるものだ。私自身は身も心も男性であるが、若い頃からしょっちゅう揶揄されてきたので、振り払い方が身についている。だからこの歳まで生きてこられた。大切なことは自分と向き合い受け入れること。そして苦悩すら楽しむ勇気を持つこと。りゅうちぇるさんのご冥福をお祈りします。