袖触り合うも多生の縁 2023年11月26日
ここ数日で空気が入れ替わった感がある。日中は25度を超えない快適な日々。心地よい風を感じて妻と食事に出かけた。私はかつ丼+白だし醤油のミニうどん。妻はみそけんちんうどんを注文した。かつ丼は7切れほどだが肉厚で予想以上に大きい。若い頃なら問題ないが、初老の自分が全てを食べられるだろうかと思った。まずはかつ丼を完食してうどんを攻める。この順番でいくかと決めた。
かつは出汁が効いていて旨味が感じられる。サクサクした食感にまろやかな卵がマッチして実に美味しい。食べ始めて10分ほど。ふと昔の記憶が蘇った。上京して妻と出会い、一緒に暮らし始めた頃。月一でアパート近くのうどん屋さんで食事をした。私はかつ丼と天ぷらそば。妻はカレーうどんを食べていた。お店の従業員は三名。おかみさんとご主人。バイトのお兄さん。おかみさんはテキパキとオーダーをーこなして無駄な動きが一切ない。バイトのお兄さんは小太りでイノシシのような顔をしていた(失礼)アパートに一緒に暮らして1年ほど。私が22歳、妻は21歳だった。自分は駆け出しで収入が少ない。従って贅沢などできるわけがなかった。夜は二人で銭湯へ出掛けて身体を温めて帰宅する。フォークソングの「神田川」の歌詞そのものだった。この先どうなるのだろうと不安な日々だった。でも一緒にいられるだけで十分だと思っていた。若い頃の楽しく切ない思い出だ。
食事中に昔の記憶が蘇ることは多々ある。古くは父が生きていた頃の実家の夕食時。家族の会話と笑いが溢れていた。母の手料理が美味しかったこと。本人は否定するだろうが、プロ級の腕前だった。その理由はただ一つ。研究熱心だったからだ。何事にも好奇心旺盛で、手を抜かないのが母の性分。料理の最中、私に味見して欲しいと何度も言ってきた。「もう少し塩が欲しいかな」私が母に伝えると、嬉しそうに笑っていたことを思い出す。どこにでもいるような、仲が良い親子だった。そして妻と一緒に暮らし始めた北池袋のアパート。暗くて狭い部屋だった。その後中板橋に新しい住まいを見つけて、マンションへ移り住んだ。仕事帰りの冬の夜は駅前で待ち合わせて暖かいラーメンを啜った。駅前からの帰路は桜並木の坂道だった。冷たい風を受けて身震いしながら歩いていた。いずれも自分にとってはかけがえのない思い出だ。
あの頃から40年。これほどまで長い時間を共に過ごした相手は妻以外はいない。あるテレビ番組で結婚40周年を迎えたご主人が言っていた。「いつも気にかけてくれるけれど、偶に邪魔になる」同感だ。うちは偶に蹴飛ばしたくなると続けたい。だがご主人は奥様のことを批判しているのではない。男性は一人になりたい時がある生き物だ。何十年も連れ添いながら、なぜ配慮してくれないのかと思ってしまうのだ。私が上京以前、互いに好きだったにも関わらず、些細なことが原因で別れた相手がいる。なぜ自分の気持ちが理解できないのだろうか。当時はそう思っていた。だが今思えば、互いにそう思っていたのかもしれない。若さゆえに気持ちの伝え方が下手だったのだろう。この際過去のことは忘れよう。一瞬一瞬で最良の選択肢を選んできたと思いたい。今の時間を大切に生きること。それで十分だろう。巡り合った全ての人が幸せに過ごしていることを願うばかりだ。最後は私が28歳、妻が27歳の時の画像です。二人とも若かったなぁ。
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2023年11月26日
ここ数日で空気が入れ替わった感がある。日中は25度を超えない快適な日々。心地よい風を感じて妻と食事に出かけた。私はかつ丼+白だし醤油のミニうどん。妻はみそけんちんうどんを注文した。かつ丼は7切れほどだが肉厚で予想以上に大きい。若い頃なら問題ないが、初老の自分が全てを食べられるだろうかと思った。まずはかつ丼を完食してうどんを攻める。この順番でいくかと決めた。
かつは出汁が効いていて旨味が感じられる。サクサクした食感にまろやかな卵がマッチして実に美味しい。食べ始めて10分ほど。ふと昔の記憶が蘇った。上京して妻と出会い、一緒に暮らし始めた頃。月一でアパート近くのうどん屋さんで食事をした。私はかつ丼と天ぷらそば。妻はカレーうどんを食べていた。お店の従業員は三名。おかみさんとご主人。バイトのお兄さん。おかみさんはテキパキとオーダーをーこなして無駄な動きが一切ない。バイトのお兄さんは小太りでイノシシのような顔をしていた(失礼)アパートに一緒に暮らして1年ほど。私が22歳、妻は21歳だった。自分は駆け出しで収入が少ない。従って贅沢などできるわけがなかった。夜は二人で銭湯へ出掛けて身体を温めて帰宅する。フォークソングの「神田川」の歌詞そのものだった。この先どうなるのだろうと不安な日々だった。でも一緒にいられるだけで十分だと思っていた。若い頃の楽しく切ない思い出だ。
食事中に昔の記憶が蘇ることは多々ある。古くは父が生きていた頃の実家の夕食時。家族の会話と笑いが溢れていた。母の手料理が美味しかったこと。本人は否定するだろうが、プロ級の腕前だった。その理由はただ一つ。研究熱心だったからだ。何事にも好奇心旺盛で、手を抜かないのが母の性分。料理の最中、私に味見して欲しいと何度も言ってきた。「もう少し塩が欲しいかな」私が母に伝えると、嬉しそうに笑っていたことを思い出す。どこにでもいるような、仲が良い親子だった。そして妻と一緒に暮らし始めた北池袋のアパート。暗くて狭い部屋だった。その後中板橋に新しい住まいを見つけて、マンションへ移り住んだ。仕事帰りの冬の夜は駅前で待ち合わせて暖かいラーメンを啜った。駅前からの帰路は桜並木の坂道だった。冷たい風を受けて身震いしながら歩いていた。いずれも自分にとってはかけがえのない思い出だ。
あの頃から40年。これほどまで長い時間を共に過ごした相手は妻以外はいない。あるテレビ番組で結婚40周年を迎えたご主人が言っていた。「いつも気にかけてくれるけれど、偶に邪魔になる」同感だ。うちは偶に蹴飛ばしたくなると続けたい。だがご主人は奥様のことを批判しているのではない。男性は一人になりたい時がある生き物だ。何十年も連れ添いながら、なぜ配慮してくれないのかと思ってしまうのだ。私が上京以前、互いに好きだったにも関わらず、些細なことが原因で別れた相手がいる。なぜ自分の気持ちが理解できないのだろうか。当時はそう思っていた。だが今思えば、互いにそう思っていたのかもしれない。若さゆえに気持ちの伝え方が下手だったのだろう。この際過去のことは忘れよう。一瞬一瞬で最良の選択肢を選んできたと思いたい。今の時間を大切に生きること。それで十分だろう。巡り合った全ての人が幸せに過ごしていることを願うばかりだ。最後は私が28歳、妻が27歳の時の画像です。二人とも若かったなぁ。