消えゆくボウリング場2024年2月19日
老舗のボウリング場が閉店した。名古屋市東部に位置する星ヶ丘ボウルである。付近には三越や東山動植物園、地下鉄星ヶ駅やバスターミナルがある絶好のロケーション。最盛期は1フロアに100レーンあり、世界第3位を誇っていたという。名古屋はここ数年、ボウリング場の閉店が続いている。今回はボウリングについて綴ろう。
昭和の時代。ボウリングはお手軽レジャーの代名詞的存在であった。だが近年は不人気のようで、閉店や廃業が報道されている。私が中学時代に利用した地元のボウリング場はブームに乗って突然開業。数年後に前触れなく閉店した。夏休みというのに、客は皆無。誰一人投げていない静寂の店内には、エアコンの作動音だけが聞こえていた。この店はもうすぐ終わるな。一緒に訪れた友人と話した記憶がある。ブームが去った後も生き残った中型店。客数が減ったようだが営業は続けていた。だがここも数年前に廃業した。晩年はCMを多発していた名古屋駅前の大型店。一等地にも関わらず、本年三月で閉店している。いずれも閉店理由は設備の老朽化。木製のレーンをはじめに、維持管理が困難になり、やむなく決意したと聞く。昨今はレジャーの多様化が進み、業績悪化もあったのだろう。栄枯盛衰。時の流れを思い知らされる。
私の思春期は正にボウリングブームと言って良い時代。様々な場所に様々な業態でボウリング場が存在していた。屋内プールやビリヤードコーナーが設置された店。ミニチュアレーシングカーのサーキット場やゲームセンターが併設された複合施設など。全盛期は1ゲーム300円。一人3ゲーム投げても1,000円程度の出費。お手軽レジャーで人気沸騰していた。そしてボウリングブームを決定的にしたのが女子プロボウラーの存在であろうか。中山律子さんをはじめに、須田加代子さん、石井利江さん、並木恵美子さん他多数の女子プロボウラーが存在していた。彼女たちの存在があったからこそ、一大ブームになったといえよう。中でも一番人気が中山律子さんである。小柄ながらコンスタントに良いスコアを出す中山さんは、「爽やか律子さん」と呼ばれて、CMにも起用されていた。ボウリングブームが生まれた要因は二つある。一つはボールを投げてピンを倒すという明快なゲーム性。専門的知識を必要としないため、老若男女を問わず支持を得た。そしてもう一つは、テクニックを習得する楽しみがあること。これについてはテレビ番組の存在が極めて大きい。従来のスポーツ中継は見ることが楽しみ。だがボウリングは見るだけではなく、知識を得て実践する楽しさが加わった。
上記の結果として、ボウリングは国民的スポーツになったといえよう。そしてこれがきっかけとなり、居ながらにしてボウリングを楽しめる玩具も生まれた。ボウリングゲームである。当時発売された製品は数々あるが、最も人気が高い製品が、エポック社のパーフェクトボウリングである。この製品はリアルなゲーム性を追求する為に、様々なアイディアが組み込まれた決定版といえよう。特筆すべき点は手動操作のピンセッター機能。レーンが凹みピンを立てる穴が空き、そこにピンを立てられる仕組み。本物を真似た動きが再現できる画期的なものだった。そしてもう一つ。投げたボールにフックがかかる本体の傾斜機能。右底部を持ち上げて、レーンに傾斜角を作る単純な仕掛けだが、これはアナログ時代の昭和ならではのアイディア。当時物の中では群を抜いていた。
最後は私自身の想いを綴りたい。高校時代に出した最高スコアは192。200を超えたいと思っていたが、最後まで実現できなかった。社会人になって以降は、週末の仕事帰りに楽しんだ新宿のミラノボウルが思い出される。映画館とゲームセンターがある大型複合施設であった。知り合いの話によれば、私の投げ方は問題があるらしい。ボールをリリースする直前、レーンに接触してバウンドしているという。自分にそんな感覚はないのだが、これが原因でコントロールが今ひとつだという。今ひとつはボウリングだけではない。生まれて以来何もかもだ(笑)
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2024年2月19日
老舗のボウリング場が閉店した。名古屋市東部に位置する星ヶ丘ボウルである。付近には三越や東山動植物園、地下鉄星ヶ駅やバスターミナルがある絶好のロケーション。最盛期は1フロアに100レーンあり、世界第3位を誇っていたという。名古屋はここ数年、ボウリング場の閉店が続いている。今回はボウリングについて綴ろう。
昭和の時代。ボウリングはお手軽レジャーの代名詞的存在であった。だが近年は不人気のようで、閉店や廃業が報道されている。私が中学時代に利用した地元のボウリング場はブームに乗って突然開業。数年後に前触れなく閉店した。夏休みというのに、客は皆無。誰一人投げていない静寂の店内には、エアコンの作動音だけが聞こえていた。この店はもうすぐ終わるな。一緒に訪れた友人と話した記憶がある。ブームが去った後も生き残った中型店。客数が減ったようだが営業は続けていた。だがここも数年前に廃業した。晩年はCMを多発していた名古屋駅前の大型店。一等地にも関わらず、本年三月で閉店している。いずれも閉店理由は設備の老朽化。木製のレーンをはじめに、維持管理が困難になり、やむなく決意したと聞く。昨今はレジャーの多様化が進み、業績悪化もあったのだろう。栄枯盛衰。時の流れを思い知らされる。
私の思春期は正にボウリングブームと言って良い時代。様々な場所に様々な業態でボウリング場が存在していた。屋内プールやビリヤードコーナーが設置された店。ミニチュアレーシングカーのサーキット場やゲームセンターが併設された複合施設など。全盛期は1ゲーム300円。一人3ゲーム投げても1,000円程度の出費。お手軽レジャーで人気沸騰していた。そしてボウリングブームを決定的にしたのが女子プロボウラーの存在であろうか。中山律子さんをはじめに、須田加代子さん、石井利江さん、並木恵美子さん他多数の女子プロボウラーが存在していた。彼女たちの存在があったからこそ、一大ブームになったといえよう。中でも一番人気が中山律子さんである。小柄ながらコンスタントに良いスコアを出す中山さんは、「爽やか律子さん」と呼ばれて、CMにも起用されていた。ボウリングブームが生まれた要因は二つある。一つはボールを投げてピンを倒すという明快なゲーム性。専門的知識を必要としないため、老若男女を問わず支持を得た。そしてもう一つは、テクニックを習得する楽しみがあること。これについてはテレビ番組の存在が極めて大きい。従来のスポーツ中継は見ることが楽しみ。だがボウリングは見るだけではなく、知識を得て実践する楽しさが加わった。
上記の結果として、ボウリングは国民的スポーツになったといえよう。そしてこれがきっかけとなり、居ながらにしてボウリングを楽しめる玩具も生まれた。ボウリングゲームである。当時発売された製品は数々あるが、最も人気が高い製品が、エポック社のパーフェクトボウリングである。この製品はリアルなゲーム性を追求する為に、様々なアイディアが組み込まれた決定版といえよう。特筆すべき点は手動操作のピンセッター機能。レーンが凹みピンを立てる穴が空き、そこにピンを立てられる仕組み。本物を真似た動きが再現できる画期的なものだった。そしてもう一つ。投げたボールにフックがかかる本体の傾斜機能。右底部を持ち上げて、レーンに傾斜角を作る単純な仕掛けだが、これはアナログ時代の昭和ならではのアイディア。当時物の中では群を抜いていた。
最後は私自身の想いを綴りたい。高校時代に出した最高スコアは192。200を超えたいと思っていたが、最後まで実現できなかった。社会人になって以降は、週末の仕事帰りに楽しんだ新宿のミラノボウルが思い出される。映画館とゲームセンターがある大型複合施設であった。知り合いの話によれば、私の投げ方は問題があるらしい。ボールをリリースする直前、レーンに接触してバウンドしているという。自分にそんな感覚はないのだが、これが原因でコントロールが今ひとつだという。今ひとつはボウリングだけではない。生まれて以来何もかもだ(笑)