切る髪があるだけましか我が人生

2024年4月7日

私ごとであるが先週末に63歳になった。月日が経つのは早いものだが、63歳の自分がどうなっているのかと想像したことは一度もなかった。六年前に発症した大病の後遺症もなく、普段通りの生活ができている。今回は自身について綴らせていただく。

昨年二月の引越し以来、腰から下のどこかしらに痛みを感じることが多い。外傷があるわけではなく、激しいスポーツをしたわけでもない。この痛みの原因は何だろうと調べたところ、一つの答えに辿り着いた。坐骨神経痛ではないかと推察している。子供時代に両親が痛みを訴えていたのが神経痛。ついに自分もそんな年齢になったのかとしみじみ思う。先日のこと。痛みを訴える私に対して妻がこう言った。「まだ老ける歳ではありませんよ」確かに見た目は60代に見えないかもしれないが、劣化は確実に進行している。視力、体力、集中力。いずれも衰えたと言わざるを得ない。気力だけで生きるのは難しい年齢になっている。

上の画像はブログをサポートしてくれているケロヨンから頂いた苺のケーキ。彼女とは出会って以来31年の付き合いに及ぶ間柄。独立以前に勤務した会社で、私自身が採用を決断した。妻を除けば誰よりも長い時間を共にしている、最も信頼できる友人といえよう。ここまでの間柄になったのは、ひとえに彼女の努力の賜物である。多くの友人と疎遠になりつつある現在、なぜそこまで親密になれたのか。その理由は一つだけある。仕事で目標を達成したい時は、私も彼女も独学で知識を得る。そして自ら獲りにいくタイプといえよう。2人の生まれ月は共に二月という偶然。出会う以前に同じ街に暮らしていたという偶然もある。更には私が独立以前に担当した客先近くに彼女の実家があったという偶然。ここまで偶然が重なると、もはや必然といえる。腐れ縁ならぬ、熟成発酵している八丁味噌のような間柄と言えるかもしれない。

健康面はともかく、ここ数年で実感していることがある。それは現代文化の最先端についていくのはもうキツイなと感じるようになったこと。音楽やドラマなど感性に訴えるものならまだしも、マッチングアプリや昨今話題のLINEの文末に。(句点)を付けるのはご法度といわれてはもうええ!となってしまう。私は煩わしいことが嫌なのでLINEはしていない。必要な時にメールを送信するだけ。若い人の感性には見習うべきこともあるが、余りにもネガティブ思考で脆弱と思うのは自分だけだろうか。私たちはまずやってみようと思う世代。たとえ間違っていても叩かれて成長してきた感がある。やる前からああだこうだと口説をいうのは、人として器が小さ過ぎる。そしてもう一つは、生きづらいと感じる人が多過ぎる。人それぞれに苦悩があるとはいえ、親が我が子を殺めたり、子供が親を殺害する現実。それは一部の人と言われたらそれまでだが、常識で考えたら是非は判断できるはず。いつからこんな世の中になってしまったのだろう。このままでは道徳の教科書に、人を殺してはいけませんと記述しないといけない。

直近のニュースで知ったのだが、日本のGDPはドイツに抜かれて、世界第4位に転落した。因みに2026年には、インドに抜かれて世界第5位に落ちると予測されている。このままでは日本の国力は落ちる一方と言わざるを得ない。ではその原因はどこにあるのか。答えは二つ。①あらゆる分野でデジタル化が遅れていること②そして個人消費が弱いこと。デジタル化が遅れているのは老害政治家が蔓延っているからだ。アナログ思考で地位にしがみつく政治家がいかに多いことか。手間と時間がかかる行政の仕組みを根本から変えなければいけない時代になっている。そのためには、高齢の政治家には引退いただくしかないだろう。消費力を高めるためには、物事の価値観を変える必要がある。そして企業の生産性を上げる必要もあるだろう。いずれにしても素早い決断が不可欠になる。働かざる者食うべからず。検討しますだけの政治家はいらない。私の人生はあと20年ほどで終焉を迎えるだろうが、若い世代にはNO!という声を挙げる勇気を期待せずにいられない。いつまでもあると思うな仕事と親。ついでに日本も加えておきます。

In My Life,memory