どう逝くか。

2024年7月15日

かつてどこかで聞いたことがある。人の寿命はその人の一生を表す大木に、どれだけの花が咲いているかで余命が分かると。

歳を重ねてバラエティ番組を見る機会が減ってきている。バラエティよりも、人の生き様を伝えるヒューマンドキュメンタリーを視聴する機会が多くなっている。昨今視聴した中で、最も刺激を受けたのがNHKスペシャル「 LAST DAYS 坂本龍一」であろうか。この番組は世界的なアーティストである坂本龍一さんの最期の一日を記録したドキュメンタリー。死に直面しながらも、人生を全うする坂本さんの生き様を記した番組として強く印象に残った。番組は坂本さんが残したメモや日記、プライベートフィルム等を中心に紹介。どのように人生を締め括ったかを伝えた。

坂本さんは2020年に受けた人間ドックでがんが発覚。その後肺に転移が判明。ステージ4と診断されて、余命半年を告げられた。普通の人ならこの時点で心が折れる。いや、自分ならば、そうなるだろう。何も考えたくない。何もする気が起きない。捨て鉢な気分になり、打ちひしがれた日々を過ごすだろう。だが坂本さんは違った。苦痛に耐えて長時間の手術に挑んだ。更に東日本大震災の復興支援プロジェクトである東北ユースオーケストラの監督を務めた。事実を受け入れて前向きに考える強靭な心の持ち主である。この勇気はどこから生まれてくるのだろうと思った。

坂本さんはかつてY.M.O.というバンドのメンバーであった。テクノポップと位置付けられたY.M.Oは1980年代に人気絶頂だった。テクノポップはシンセサイザーを使用した楽曲が最大の特徴。著名な曲は多数存在する。私自身はあまり詳しくないが、TECHNO POLICEとRYDEENが大ヒットしたのは覚えている。アルバムを発表する度に斬新なジャケットデザインも話題になった。その後坂本さんは大島渚監督の映画「戦場のメリークリスマス」に俳優として出演されたのは記憶に新しい。ピアニスト、作曲家という肩書きを超えて演者、音楽監督まで上り詰めた坂本さんのベースにあるものはクラシック音楽である。中学時代からクラシック音楽を学んだ結果、坂本さんの才能が花開いたのであろう。

番組では「戦場のメリークリスマス」を演奏する映像が使われていた。収録当時の坂本さんは忍びよる死を覚悟していたのであろうか。元々細身の坂本さんがさらに痩せて見えた。テンポを少し落とした演奏は透き通るような音色で、聴く人の心に染み渡る。一音一音が優しく、そして力強く心に響く。懐かしい家族の写真や思い出に残る映像を見て涙することはあるが、坂本さんの想いを感じて、思わず涙がこぼれ落ちた。

六年前の初夏のこと。私は脳出血を発症した。電話対応中に呂律が回らないことに気がついた。自分に何が起きたのだろう。不安と違和感を感じて、仕事を中断。車を運転して帰宅した。帰宅後に喉を潤そうと冷蔵庫からペットボトルを取り出した瞬間のことだった。左手で掴んでいた2Lのペットボトルがスルリと抜け落ちたのだ。これはおかしいと妻にメールを送信した。精密検査の結果は脳出血と診断されて即刻入院。医師からは、よくもそんな状態で運転できましたねと言われた。もし運転中に意識を失っていたら、事故を起こして死んでいたかもしれない。そう考えると人間は、健康だから生きているのではないことが分かる。人は絶妙なバランスで生きている。そしてそのバランスが崩れた時に、死が訪れるのだろう。人が生きていられるのは奇跡の連続かもしれない。

闘病中の坂本さんは時に変顔を見せておどけてみたり、曲を聴いて涙ぐんだりしていた。当時の日記は生きる希望と諦めたような言葉が交互に綴られており、坂本さんの揺れ動く胸中が記されている。番組のインタビューで最も印象的な言葉は「どう逝くかですね」この言葉から、まもなく訪れる死を覚悟していたのだろう。坂本さんの心中察するに余りある。そんな状況下でもテレビカメラを受け入れて、今の自分を伝えようとする生き様は胸を打つ。また坂本さんと同じ年に亡くなられた高橋幸宏さんは、共にY.M.O.で活躍した盟友。坂本さんは自身が治療中にも関わらず、高橋さんの自宅を訪れて「生き直そう」というメッセージを残した。どんな状況でも仲間に寄り添う坂本さんの人柄が偲ばれる。

2023年3月28日の早朝、坂本さんは亡くなられた。番組では伝えていなかったが、亡くなる数日前は体調が悪化。「つらい。もう逝かせてくれ」と医師やご家族に漏らしたという。私たちの一つ上の世代の方が亡くなる現実を目の当たりにして、次は自分の世代かという悲しい気持ちになる。人生は何が起きるか分からない。また私自身は大病の経験もあり、何が起きてもおかしくない。一瞬一瞬を胸に刻みながら生きていくのはとても切ない。番組を視聴して感じたことは、坂本さんはアーティストとして最後まで輝いていた。そして誰しも最期の一瞬まで生きるべきだと教えてくれた。ご冥福をお祈りします。

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