TORA! TORA! TORA!
ワレ奇襲ニ成功セリ NEW!

2024年8月19日

本記事はお盆の特別企画として作成した。戦争を知らない世代にもお読みいただきたい。
小学生のころ、生前の父に連れられて映画館へ度々行った記憶がある。鑑賞した作品の殆どは戦争映画。母を誘っても行かないだろうから、私を連れて行ったのだろう。

入手以来保管状態のDVDを視聴した。TORA! TORA! TORA! この映画は太平洋戦争の始まりを意味する真珠湾攻撃をテーマにした作品である。製作費118億8000万円という巨額を投じた本作は、20世紀フォックスが社運を賭けた映画と報じられた。最大の特徴は、日米双方の視点から描かれていること。これにより日本のみならず、様々な反響を巻き起こした。当初は監督に黒澤明の名前があったのだが、その後アメリカと意見の相違が顕著になり降板した。

トラトラトラ!は太平洋戦争の始まりである日本軍の真珠湾攻撃が、奇襲で開始されることを伝える暗号文。当時の日本は景気が悪く、様々な物資が不足。国民の不満が募っていた。この状況を打破するため、日本は中国へ軍を進めて実権を握る。この結果中国と全面戦争になった。アメリカは中国に武器を供与して支援する。そして日本の力を止めるため、石油の輸出を禁止。追い詰められた日本は開戦を決意する。両国は直前まで交渉を続けていたが、解決策が見出せないことも予想され、日本は密かに開戦の準備を進めていたのだ。そして1941年12月8日、真珠湾攻撃が開始された。当初は攻撃開始30分前に交渉打ち切りを通告する予定であったが、なぜか攻撃後の通告になった。これについては現在も原因不明。結果的にアメリカは不意打ちを喰らい、日本を激しく非難した。作品の評価はアメリカと日本で大きく異なる。アメリカからすれば、日本は卑劣極まる国として、アメリカの国民感情を逆撫でする作品と位置付けられた。一方の日本からすれば、アメリカは日本をみくびっていた結果と熱狂を持って受け入れられた。正直にいえば私自身も壊滅的なアメリカ軍と真珠湾の映像を見て、少なからず爽快な気持ちになったことは否めない。しかしながら両国の戦闘機が白煙をあげて墜落するシーンでは、不覚にも涙がこぼれた。戦争は殺し合い以外の何でもない。どちらの国も死んでいい人などいないのだ。

私が本作品で最も注目すべき部分はアメリカの考え方である。結論からいえば、何事もシステム化されていること。別の言い方をすれば実に合理的といえよう。最も分かりやすいのが兵士に提供する食事。平時と異なるため、落ち着いて食事することはできない。一瞬にして命を落とす可能性があるからだ。そこで開発されたのがMREレーションと呼ばれる携帯食。一食分を一パックで提供するため、様々な食料がセットされている。メインは肉料理だが、選択できるよう数種類が用意されている。メインの他にはスープ、ビスケットやクッキー、インスタントコーヒーとシュガーまでもセットされている。このように食料もシステムで考える発想がアメリカそのものなのだ。私自身も過去に入手して食したことがある。たとえ戦時下でも兵士の体力を重要視するアメリカの考え方は大国に相応しいと感じた。因みに最近では大手通販サイトでも入手可能である。

話を映画へ戻す。本作品は1970年に公開された。名目上はアメリカ映画だが、当時のアメリカと日本、双方からの視点で描くため、両国合同のスタッフとキャストで制作された。作品に登場する戦闘機や艦船などはアメリカから無償で提供された。また日本の一部戦闘機はアメリカが保有する実機を飛行可能へ改修。塗装も日本の戦闘機そっくりに仕上げられ撮影されたという。日本の航空母艦赤城と戦艦長門は実物大の木製。福岡県の海岸でオープンセットが組まれた。撮影は1968年日本側からスタート。その後アメリカでも撮影が開始された。当初は両国が様々なアイディアを出し合い、作品のクオリティーを高めようとした。だがその後真珠湾攻撃に対する国民感情の違いが露呈。これにより中途半端な表現描写になった感が否めない。作品の評価は両国で分かれた。日本軍が圧倒的優位に描かれているため、日本では高く評価された。逆にアメリカ軍は劣勢に描かれているため、開戦前の危機管理の甘さが問われる結果となり、興行成績も良くなかった。

私は63歳だが戦争を知らない世代。父は戦時下に疎開体験をした世代。その差26年の違い。だが私が生まれた年は、終戦から僅か16年なのだ。父は空襲の際、戦闘機の攻撃から逃げるため、恐怖を感じていたという。戦後の日本はその停滞期を乗り越えて経済大国に変貌した。だが現状は少子高齢化により、国の存亡が危ぶまれている。原爆を落とされて敗戦という悲惨な結果にも関わらず、アメリカと同盟を構築するまでに成長した我が国。この関係をどう発展させるかという課題も残る。沖縄で繰り返される事故や不祥事を見る限り、やはり国民性の違いは存在する。だが批判するだけではなく、相手を認める気持ちも必要だ。平和という永遠の課題に両国が手を携えて実現することを願うばかりだ。

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