監督はつらいよ NEW!2024年10月8日
成績不振の責任を取るため、中日ドラゴンズの立浪監督が辞任を表明した。不振の原因は様々あるが、立浪監督の采配能力ではなく、本気で優勝する気があるのかと思わざるを得ないフロントに問題があるのではないか。
日本のプロ野球は2リーグ制で、それぞれ6チームが存在している。昨今はファン層拡大のため、全国に分散しつつある傾向だが、私が暮らすこの地域は昔から中日しかなかった。そのため中日ファンは熱狂的で、チケットも入手しづらいのが実情。私自身も幼い頃からドラゴンズの帽子を被っていた記憶がある。学校へ行けば野球の話に花が咲き、誰もが熱心に会話した記憶がある。郷土愛といえば聞こえは良いが、そもそもこれが球団のために良いのだろうかと疑問に感じていたこともある。数年前のこと。中日の球団関係者が以下のように発言したという「優勝すると莫大なカネがかかるので、三年に一度くらいのペースで優勝争いに加われば良い」この発言が事実なら、あまりにも打算的で情けない。選手やファンはふざけるな!と激怒するだろう。
立浪監督は三年目。二年連続Bクラス。後がない状態に追い込まれていた。一時は首位だったが、その後は徐々に失速。かつての位置へ戻ってしまった。チームが不調の時は、打つ手全てが裏目に出るのが常。野球評論家はこぞって今年もダメだと結論づけていた。かつて監督の交代により中日が強くなった例は二回ある。初めは星野仙一さんの就任時。選手に対して「覚悟しとけ!」これは色々やらかすだろうなと期待した。はじめにユニフォームデザインを刷新。当時はやや古さを感じる筆記体でDragons。文字の色はえんじに近い赤だった。少年野球チームのようなひ弱なイメージだったが、許可を得て、メジャーリーグのドジャースと同じ書体に変更。文字色も赤から濃いブルーへ変えた。このデザインは秀逸。今見てもカッコいい。次に戦力の大幅アップに着手。不動の四番打者としてロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)から落合博満さんを獲得するため4対1の大型トレードを実施。優勝するために、あらゆる手段を講じた印象が強い。その甲斐あって1987年にセントラルリーグ優勝。しかしながら日本シリーズは力及ばずだった。
その後星野さんから高木守道さんへ交代。そして再び星野さんへ交代する継投人事。二度の監督を務めた星野さん退任後は阪急の山田久志さんを招聘。だが監督が変わっても常勝には程遠い状態が続いていた。そして2003年、白井オーナーがチームの大改革を決断。かつての四番打者落合博満さんを監督に招聘。星野さんとは異なる手法でチームを改革した。就任時の会見では「お手本にする監督はいません。独自のものを作り上げます」この一言に落合さんの本質があると理解した。星野さんと異なる部分は常に沈着冷静な采配。星野監督時代は試合でミスが生じると、怒鳴られたり暴力を振るわれたらしい。これについては当時の選手、関係者が事実と証言。テレビでも映像が流れたことがある。試合中にダッグアウト内の扇風機を素手で破壊。部品が飛び散る異様な光景であった。「あれだけ怒っていたら、選手は萎縮してしまう」これを目の当たりにした落合さんだからこそ、何が起きても冷静な采配を実践したのだろう。「野球は相手に10点取られても、うちが11点取れば勝てる」現有戦力10%の底上げで優勝できると発言。見事にリーグ優勝を遂げた。また中日のスタイルを打ち負かすから、守り抜くへ変えた。就任8年でリーグ優勝4回、日本チャンピオン1回の成績は中日歴代監督の中では最優秀である。
私自身は落合監督が退任されて以来、プロ野球に興味が無くなった。なぜなら成績優秀な落合さんを交代させる必要はないと思ったからだ。ところが落合監督は退任。しかもまた高木さん!?何を冗談をと思ったのが本音。これで三年間はBクラス決定と推測。中日ファンを辞める事にした。高木さんは名選手であったが、監督は不向きの印象が強かった。高木監督二年目は4位確定。シーズン終了直前のこと。私と友人は中日グループ企業が主催するバスツアーに参加した。車中で添乗員さんからこんな話を伺った。皆様の中には中日ファンが多いと思います。先程社内でこんなニュースを聞きました。高木監督は今シーズン限りで退任だそうです。バスツアー参加者からオーッと声が上がった。二度の監督就任で一度も優勝できない現実。私自身も退任は必然と思っていた。しかしながらなぜこの話題が社外へ漏れるのかと疑問が湧いた。バスツアーを企画したのは中日グループ企業。これが日常茶飯事なら、チーム事情が筒抜けを意味する。今思えばこれも中日の改善すべき点かもしれない。
立浪監督辞任について敢えていうなら、原因は球団の経営方針にも問題があると推察。なぜなら親会社である中日新聞社は東海三県が対象エリア。ライバル球団がないため、誤った発想に陥りやすい。落合監督時代から度々伝えられたことがある。落合監督はあれだけの成績を残したにも関わらず、ナゴヤドームの座席が埋まらないのはファンサービスが足りないからだと批判した球団関係者がいる。これについては自説をファンクラブ会報へ掲載したらしい。メディアを通じて身内の批判を口外するのは愚行極まりない。私に言わせればこの人の方がおかしい。監督の仕事はファンサービスではない。試合に勝つことだ。監督は四六時中試合のことを考えるのが本来の役割り。チケットが売れないを理由に監督を批判するのは筋が違う。失礼ながらご自身が無能を認めたのと同じことだ。
中日は最終戦も敗れて三年連続最下位が決定した。立浪監督の辞任は残念だが、勝負の世界では当然のこと。私はむしろ潔いと敬意を表する。本件で思い出されるのが落合監督の後を託された高木守道監督の時代。中日は何が何でも高木さんに優勝させたかったのだろう。高木さんは評論家としては厳しい方だったが、自己主張が殆どない方だった。従って球団は扱い易い監督と思っていたはずだ。当時の中日はメディアを駆使してファンのためのドラゴンズをアピールする一大キャンペーンを展開。前任者である落合監督のイメージ払拭に躍起だった感がある。しかしながら高木さんは星野さんの退任後、そして落合さんの退任後、二度の機会を与えられたものの、一度も優勝することができなかった。僭越ながら言わせていただく。他人が作り上げた戦力を与えて優勝させようという企みなど何の価値もない。一方ではチケットが売れないことも監督のせいにする。そんな打算的な考えでは優勝できるはずがない。立浪さん、貴方が再びドラゴンズの指揮を取る日は必ず来ます。星野さんと落合さん。中日を強くするために尽力された二人の名監督。その指揮下で活躍された貴方の天命なのです。
Post Views:
6
2024年10月8日
成績不振の責任を取るため、中日ドラゴンズの立浪監督が辞任を表明した。不振の原因は様々あるが、立浪監督の采配能力ではなく、本気で優勝する気があるのかと思わざるを得ないフロントに問題があるのではないか。
日本のプロ野球は2リーグ制で、それぞれ6チームが存在している。昨今はファン層拡大のため、全国に分散しつつある傾向だが、私が暮らすこの地域は昔から中日しかなかった。そのため中日ファンは熱狂的で、チケットも入手しづらいのが実情。私自身も幼い頃からドラゴンズの帽子を被っていた記憶がある。学校へ行けば野球の話に花が咲き、誰もが熱心に会話した記憶がある。郷土愛といえば聞こえは良いが、そもそもこれが球団のために良いのだろうかと疑問に感じていたこともある。数年前のこと。中日の球団関係者が以下のように発言したという「優勝すると莫大なカネがかかるので、三年に一度くらいのペースで優勝争いに加われば良い」この発言が事実なら、あまりにも打算的で情けない。選手やファンはふざけるな!と激怒するだろう。
立浪監督は三年目。二年連続Bクラス。後がない状態に追い込まれていた。一時は首位だったが、その後は徐々に失速。かつての位置へ戻ってしまった。チームが不調の時は、打つ手全てが裏目に出るのが常。野球評論家はこぞって今年もダメだと結論づけていた。かつて監督の交代により中日が強くなった例は二回ある。初めは星野仙一さんの就任時。選手に対して「覚悟しとけ!」これは色々やらかすだろうなと期待した。はじめにユニフォームデザインを刷新。当時はやや古さを感じる筆記体でDragons。文字の色はえんじに近い赤だった。少年野球チームのようなひ弱なイメージだったが、許可を得て、メジャーリーグのドジャースと同じ書体に変更。文字色も赤から濃いブルーへ変えた。このデザインは秀逸。今見てもカッコいい。次に戦力の大幅アップに着手。不動の四番打者としてロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)から落合博満さんを獲得するため4対1の大型トレードを実施。優勝するために、あらゆる手段を講じた印象が強い。その甲斐あって1987年にセントラルリーグ優勝。しかしながら日本シリーズは力及ばずだった。
その後星野さんから高木守道さんへ交代。そして再び星野さんへ交代する継投人事。二度の監督を務めた星野さん退任後は阪急の山田久志さんを招聘。だが監督が変わっても常勝には程遠い状態が続いていた。そして2003年、白井オーナーがチームの大改革を決断。かつての四番打者落合博満さんを監督に招聘。星野さんとは異なる手法でチームを改革した。就任時の会見では「お手本にする監督はいません。独自のものを作り上げます」この一言に落合さんの本質があると理解した。星野さんと異なる部分は常に沈着冷静な采配。星野監督時代は試合でミスが生じると、怒鳴られたり暴力を振るわれたらしい。これについては当時の選手、関係者が事実と証言。テレビでも映像が流れたことがある。試合中にダッグアウト内の扇風機を素手で破壊。部品が飛び散る異様な光景であった。「あれだけ怒っていたら、選手は萎縮してしまう」これを目の当たりにした落合さんだからこそ、何が起きても冷静な采配を実践したのだろう。「野球は相手に10点取られても、うちが11点取れば勝てる」現有戦力10%の底上げで優勝できると発言。見事にリーグ優勝を遂げた。また中日のスタイルを打ち負かすから、守り抜くへ変えた。就任8年でリーグ優勝4回、日本チャンピオン1回の成績は中日歴代監督の中では最優秀である。
私自身は落合監督が退任されて以来、プロ野球に興味が無くなった。なぜなら成績優秀な落合さんを交代させる必要はないと思ったからだ。ところが落合監督は退任。しかもまた高木さん!?何を冗談をと思ったのが本音。これで三年間はBクラス決定と推測。中日ファンを辞める事にした。高木さんは名選手であったが、監督は不向きの印象が強かった。高木監督二年目は4位確定。シーズン終了直前のこと。私と友人は中日グループ企業が主催するバスツアーに参加した。車中で添乗員さんからこんな話を伺った。皆様の中には中日ファンが多いと思います。先程社内でこんなニュースを聞きました。高木監督は今シーズン限りで退任だそうです。バスツアー参加者からオーッと声が上がった。二度の監督就任で一度も優勝できない現実。私自身も退任は必然と思っていた。しかしながらなぜこの話題が社外へ漏れるのかと疑問が湧いた。バスツアーを企画したのは中日グループ企業。これが日常茶飯事なら、チーム事情が筒抜けを意味する。今思えばこれも中日の改善すべき点かもしれない。
立浪監督辞任について敢えていうなら、原因は球団の経営方針にも問題があると推察。なぜなら親会社である中日新聞社は東海三県が対象エリア。ライバル球団がないため、誤った発想に陥りやすい。落合監督時代から度々伝えられたことがある。落合監督はあれだけの成績を残したにも関わらず、ナゴヤドームの座席が埋まらないのはファンサービスが足りないからだと批判した球団関係者がいる。これについては自説をファンクラブ会報へ掲載したらしい。メディアを通じて身内の批判を口外するのは愚行極まりない。私に言わせればこの人の方がおかしい。監督の仕事はファンサービスではない。試合に勝つことだ。監督は四六時中試合のことを考えるのが本来の役割り。チケットが売れないを理由に監督を批判するのは筋が違う。失礼ながらご自身が無能を認めたのと同じことだ。
中日は最終戦も敗れて三年連続最下位が決定した。立浪監督の辞任は残念だが、勝負の世界では当然のこと。私はむしろ潔いと敬意を表する。本件で思い出されるのが落合監督の後を託された高木守道監督の時代。中日は何が何でも高木さんに優勝させたかったのだろう。高木さんは評論家としては厳しい方だったが、自己主張が殆どない方だった。従って球団は扱い易い監督と思っていたはずだ。当時の中日はメディアを駆使してファンのためのドラゴンズをアピールする一大キャンペーンを展開。前任者である落合監督のイメージ払拭に躍起だった感がある。しかしながら高木さんは星野さんの退任後、そして落合さんの退任後、二度の機会を与えられたものの、一度も優勝することができなかった。僭越ながら言わせていただく。他人が作り上げた戦力を与えて優勝させようという企みなど何の価値もない。一方ではチケットが売れないことも監督のせいにする。そんな打算的な考えでは優勝できるはずがない。立浪さん、貴方が再びドラゴンズの指揮を取る日は必ず来ます。星野さんと落合さん。中日を強くするために尽力された二人の名監督。その指揮下で活躍された貴方の天命なのです。