早すぎるよ、ハマちゃんNEW!

俳優の西田敏行さん(76)が亡くなった。西田さんは俳優であり、歌手であり、優れたコメディアンでもあった。昭和の名優が一人、また一人亡くなることは、時の流れを感じる。そして猛烈な寂しさと虚しさが込み上げてくる。

西田さんの死因は虚血性心疾患と発表された。虚血性心疾患とは動脈硬化や血栓などが原因で、心筋梗塞や狭心症を引き起こす。突然死に至ることもあるといわれている。西田さんは亡くなる数日前まで仕事をされていたらしい。直近では米倉涼子さん主演の「ドクターX」の病院長が著名な役柄であった。関係者によれば、晩年は杖と車椅子が必然の生活だったという。加齢により足腰が弱っていたのだろうか。私のような昭和生まれにとっては、ドクターXよりも池中玄太80キロがピントくる。やることなすこと笑いを誘う西田さんの演技は、唐突でありながら計算されたものであり、プロの役者とは視聴者を楽しませることだと言わんばかりだった。池中玄太80キロは家族の絆を描いたドラマ。視聴率は毎週コンスタントに20%を超えていた。ドラマのテーマソングも大ヒットした。西田さん自身が歌唱された「もしもピアノが弾けたなら」である。

後に西田さんの代表作になったのが釣りバカ日誌であろうか。スーさんを演じた三國連太郎さんは鈴木建設の社長という設定。一方のハマちゃんを演じた西田さんはお気楽万年平社員。二人は釣り仲間だが、ハマちゃんが師匠。スーさんはハマちゃんの弟子扱い。社内の地位とは異なる設定が物語に奥行と広がりを与えた。笑いのツボを抑えたお二人の演技は、どの作品を見ても爆笑だった。渥美清さんが亡くなり、男はつらいよが制作終了。その後を埋めるように制作された釣りバカ日誌が大ヒットとなり、松竹映画の屋台骨を支え続けた。三國さんが逝去された後はハマちゃん役の西田さんがスーさん役に抜擢された。お気楽なハマちゃから社長のスーさん役へのスライド登板は見る側の私たちも少々戸惑った。しかしながらスーさん役を見事にこなしたのは芸達者な西田さんならでは。西田さんは過去に志村けんさんのコントバラエティー番組に何度もゲスト出演されている。志村さんの唐突なアドリブに対して即座に合わせる西田さんの演技力。腹を抱えて笑った記憶がある。ご本人もゲスト出演を楽しみにされていたのだろう。残念ながらお二人ともこの世にいない存在になってしまったが、当時の記憶は永遠の思い出になっている。

もう一つ忘れられない思い出がある。2003年に制作された白い巨塔というテレビドラマがあった。このドラマは大学病院の微妙な人間関係を描いた作品。西田さんは主人公の義理の父親の役柄で出演されていたが、一目見て分かるカツラを付けていた。後に分かったのだが、カツラを付けることを提案したのは西田さん自身という。またドラマのクライマックスシーンでは自ら頭を触ってカツラがズレたまま演技を続けた。共演者がそれに気付き、身振りで西田さんに伝えたというエピソードが残っている。笑いが大好きな西田さんのことだ。敢えて仕掛けたのかもしれない。

西田さんは福島県のご出身。東日本大震災では被災された方々に対して復興支援のイベントを通じて寄り添い続けた。誰にでも優しい言葉を掛ける、希望の光のような存在だった。19歳の頃西田さんと共演した女優の石田ゆり子さんは、以下のようなコメントを寄せている。西田さんがもういないなんてとても信じたくないし、信じられない。今はただひたすら寂しい。ほとんど素人同然の私を優しく温かく見守ってくださった西田さんがもういない。その現実を見つめることが怖い。こんなふうに人はある日突然いなくなってしまう。西田さんの周りはどんな時でも笑顔があった。みんなが幸せで楽しそうで、その中心は西田さんだったと綴っている。石田ゆり子さんのコメントは含蓄があり胸を打つ。そうなのだ。人は突然いなくなる。それに気づいた瞬間から人生は虚しくなってしまう。

何ごとにも必ず終わりはやってくる。それを避けることができないのが人生の切なさであり儚さでもある。歳を重ねてつくづく感じる時間の尊さ。たとえどんなに辛いことがあっても明日も生きたい。いや、生きなければと強く思う。さよならハマちゃん、周りの人を包み込むような貴方の笑顔。決して忘れません。

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