恐れ入りましたNEW!
妻が運転免許証を返納した。名古屋の道路は分からない。道幅も広すぎるし、運転が荒っぽい。ここでは怖くて運転できないが口癖だった。そしてあなたの運転も怖いだと。
最近になり運転免許証を返納したという話を知る機会が多くなった。僭越だが、私自身は運転に自信がある。そしてかなり上手な部類に入ると思っている。だがプリウスを手放して以来、全く運転していない。クルマは定期的に運転しないと感覚が鈍る。しかしながら運転すれば直ぐに戻るのも事実。問題は加齢による運転技術の劣化である。私は既に60歳を超えている。もし今後運転を再開する場合、自分では気づかない感覚の劣化が起きているのではという不安がよぎる。私が免許証を取得したのは28歳。19歳で上京。その後8年間東京で暮らした。東京で暮らした時代はクルマを必要としない日々だった。結婚を決意して名古屋へ戻ってから車校へ通い免許証を取得した。車校の初日。オートマ車で円周を走行した。下手な人はコースを外れるが自分はそんなことは一切なかった。同乗する講師が呟いた。貴方は上手ですねぇ「いえ、勘がいいだけです」自転車もバイクも、そしてクルマも、勘が最も重要だと思っている。
私は亡き父のクルマに同乗することで、運転技術を習得した。父は昔からクルマ好きで運転も上手かった。一般道でも車線変更はしょっちゅう。いわゆるケツ振りまくり運転。60代後半まで機敏な運転をして、母も怖いを連発していた。母から生前の武勇伝も聞いたことがある。私が名古屋に戻る決意を固めた数年前のこと。家族で伊勢神宮へ出かけた際、高速道路で暴走族の集団に遭遇したらしい。父のクルマを含めて10台ほどが囲まれてノロノロ運転せざるを得ない状況だったという。父もイライラが募っていたのだろう。暴走族の車間が僅かに開いたのを見計らい、単独で強行突破を試みたという。当時の父が乗っていたクルマはクラウンマジェスタ。3リッター直列6気筒ツインカム24バルブという高性能エンジン。アクセルを踏み込み160キロ近い速度で暴走族を振り切ったという。乗車していた母は恐怖で足がすくんだらしい。この話を聞いた時、よくもまぁそんな速度で走ったものだと思ったが、父は負けず嫌いでとことん張り合う性分。そして正義感が強すぎる。私も父の性分を継いでいると言われる。もし私が同じ事態に遭遇したら、父と同じことをしたかもしれない。
運転免許証を返納した人は意外に多いという記事をネットで見つけた。著名人ではミスターマリックさん、ドリフターズの加藤茶さん、高木ブーさん、そして加山雄三さんである。返納理由は様々だが、マリックさんはお孫さんから運転が怖いと指摘されたこと。視野が狭くなり片側に寄った走行になっていると気付かされたという。加藤さんは高木さんの返納に触発されて決意されたという。やはり身近な人が決意するとそろそろ自分もと考えるのだろう。私は次回の更新を受けるかどうかを悩んでいる。正直にいえば現状の生活は、クルマは不可欠な存在ではなくなった。その理由は結構な維持費がかかること。そしてその割に、乗る機会が少ないこと。会社経営していた時代はほぼ毎日運転したが、六年前の病気を機に激減した。では永久にそう思うかといえば気持ちが揺らぐ。無性に運転したいと思う時もあるからだ。また視力検査のため、メガネを作り直す付帯費用も生じる。そうなると、そこまでして更新する必要があるかと思う。
クルマの運転が楽しいと思った時は30代の十年間のみ。独立前に購入したクルマはワインレッドのカリーナED。デザイン性重視で選択したが、頭上空間が異常に狭く窮屈なクルマであった。名古屋の街を運転するのはちょっとした勇気が必要だ。一般道を100キロ以上で走行する命知らずの大馬鹿者。旦那さんのバカでかいクルマを運転して切り返しすらできない奥様方。無理やり車線変更してくる横着なトラックドライバー。それを承知で運転しないと、四六時中腹を立てることになる。運転をしなければ済む話しだが、交通の便が悪い名古屋はクルマがないと生活できないのも事実。免許証の更新は再来年。まだまだ十分に時間がある。慌てず焦らずじっくり考えて決めたい。今回の件ではっきりしたことが一つある。女性は男性よりも行動力があることだ。恐れ入りました。
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妻が運転免許証を返納した。名古屋の道路は分からない。道幅も広すぎるし、運転が荒っぽい。ここでは怖くて運転できないが口癖だった。そしてあなたの運転も怖いだと。
最近になり運転免許証を返納したという話を知る機会が多くなった。僭越だが、私自身は運転に自信がある。そしてかなり上手な部類に入ると思っている。だがプリウスを手放して以来、全く運転していない。クルマは定期的に運転しないと感覚が鈍る。しかしながら運転すれば直ぐに戻るのも事実。問題は加齢による運転技術の劣化である。私は既に60歳を超えている。もし今後運転を再開する場合、自分では気づかない感覚の劣化が起きているのではという不安がよぎる。私が免許証を取得したのは28歳。19歳で上京。その後8年間東京で暮らした。東京で暮らした時代はクルマを必要としない日々だった。結婚を決意して名古屋へ戻ってから車校へ通い免許証を取得した。車校の初日。オートマ車で円周を走行した。下手な人はコースを外れるが自分はそんなことは一切なかった。同乗する講師が呟いた。貴方は上手ですねぇ「いえ、勘がいいだけです」自転車もバイクも、そしてクルマも、勘が最も重要だと思っている。
私は亡き父のクルマに同乗することで、運転技術を習得した。父は昔からクルマ好きで運転も上手かった。一般道でも車線変更はしょっちゅう。いわゆるケツ振りまくり運転。60代後半まで機敏な運転をして、母も怖いを連発していた。母から生前の武勇伝も聞いたことがある。私が名古屋に戻る決意を固めた数年前のこと。家族で伊勢神宮へ出かけた際、高速道路で暴走族の集団に遭遇したらしい。父のクルマを含めて10台ほどが囲まれてノロノロ運転せざるを得ない状況だったという。父もイライラが募っていたのだろう。暴走族の車間が僅かに開いたのを見計らい、単独で強行突破を試みたという。当時の父が乗っていたクルマはクラウンマジェスタ。3リッター直列6気筒ツインカム24バルブという高性能エンジン。アクセルを踏み込み160キロ近い速度で暴走族を振り切ったという。乗車していた母は恐怖で足がすくんだらしい。この話を聞いた時、よくもまぁそんな速度で走ったものだと思ったが、父は負けず嫌いでとことん張り合う性分。そして正義感が強すぎる。私も父の性分を継いでいると言われる。もし私が同じ事態に遭遇したら、父と同じことをしたかもしれない。
運転免許証を返納した人は意外に多いという記事をネットで見つけた。著名人ではミスターマリックさん、ドリフターズの加藤茶さん、高木ブーさん、そして加山雄三さんである。返納理由は様々だが、マリックさんはお孫さんから運転が怖いと指摘されたこと。視野が狭くなり片側に寄った走行になっていると気付かされたという。加藤さんは高木さんの返納に触発されて決意されたという。やはり身近な人が決意するとそろそろ自分もと考えるのだろう。私は次回の更新を受けるかどうかを悩んでいる。正直にいえば現状の生活は、クルマは不可欠な存在ではなくなった。その理由は結構な維持費がかかること。そしてその割に、乗る機会が少ないこと。会社経営していた時代はほぼ毎日運転したが、六年前の病気を機に激減した。では永久にそう思うかといえば気持ちが揺らぐ。無性に運転したいと思う時もあるからだ。また視力検査のため、メガネを作り直す付帯費用も生じる。そうなると、そこまでして更新する必要があるかと思う。
クルマの運転が楽しいと思った時は30代の十年間のみ。独立前に購入したクルマはワインレッドのカリーナED。デザイン性重視で選択したが、頭上空間が異常に狭く窮屈なクルマであった。名古屋の街を運転するのはちょっとした勇気が必要だ。一般道を100キロ以上で走行する命知らずの大馬鹿者。旦那さんのバカでかいクルマを運転して切り返しすらできない奥様方。無理やり車線変更してくる横着なトラックドライバー。それを承知で運転しないと、四六時中腹を立てることになる。運転をしなければ済む話しだが、交通の便が悪い名古屋はクルマがないと生活できないのも事実。免許証の更新は再来年。まだまだ十分に時間がある。慌てず焦らずじっくり考えて決めたい。今回の件ではっきりしたことが一つある。女性は男性よりも行動力があることだ。恐れ入りました。