物言えば唇寒し秋の風
愚か者、悪口はオレに直接言ってこい。
厚顔無恥なあなたへ。

2021年4月10日

★イラストレーション:ケロヨンF谷

先日、興味深い事があり、ブログに綴ろうと考えたものが本記事である。
文中のAとBは、私が独立前に勤務していた会社の部下であり、二人は同僚であった。
私とAは3歳違い、Bは私と一回りの歳の差である。
はじめにAから、Bが私の悪口をメールに書いて送ってきた事を教えられた。所謂陰口である。私はAに対して、メールの転送を依頼した。Bのメールには、当時から長い時間が経過して、私と考えが噛み合わなくなってきた事。更には、私がブログに熱心な事が理解できないと記述されていた。B曰く、私はナルシストでオタクだそうである。それがどうした。ブログは個人的なもので、Bからケチをつけられる筋合いはない。私に直接伝えてくるならまだしも、陰口を叩くような雑魚は相手にしない主義である。最初は無視しようと思ったのだが、私と遊びたいようなので、Bの言い分を徹底的に論破する事にした。

Bは、当時から我が強く、ひがみっぽい性格であった。他人を貶す事はあっても、褒める事は無い歪んだ性格。それはBの育った家庭環境に起因する。だが、それについては触れない。私をナルシストと評するのは自由だが、それはBの短絡的な発想であり、自信の無さの裏返しである。私が友人に恵まれて、人生を謳歌しているように感じられて羨ましいのであろう。私はBのような、他力本願な人生は送っていない。人生は、自身の努力で日々創るものであり、与えられるものを待つだけでは満足感は得られない。元より、私がブログを始めた理由もその為である。次に、私がオタクだと。昭和生まれを感じさせる古臭い表現だ。文才の無い、Bならではの言い回し。そもそも、オタクの意味を正しく理解しているかも疑わしい。オタクとは、一つの事に熱中している人を表す。私は自他共に認める多趣味な人間である。従ってその分析も的外れ。Bが知らないのなら教えてあげよう。マニアと言う表現を使っていただきたい。

私の経験上、陰口を叩く者には、共通した特徴が見受けられる。損得勘定で動き、都合よく他人を利用する性分。他人の生活を羨ましく思い、それを批判する事で自己防衛を図る本能。間違いを指摘しても、言い訳に終始する性格。それ故に極めて友人が少ない。極め付けは、他人の生活や価値観に口を挟み、土足で踏み込んでくる厚かましさ。勘違いも甚だしい。私に言わせれば、厚顔無恥なだけである。恐らく心が貧しいのであろう。他人を批判する事で、心の貧しさを埋めようとしている。AとBには、デザインに限らず、人としての礼儀やモラルなども丁寧に教えてきたつもりである。幸いにも、Aは立派な人間に成長しているが、Bがこの程度の人物に成り下がったとは残念極まりない。しかも恩を仇で返してくるとは。私もみくびられたものである。恐らくBの周囲には、間違いを指摘する人間がいないのであろう。これについては、Bの配偶者にも責任があると言わざるを得ない。なぜならば、夫婦の意義はそこにあるからである。

ブログを公開している以上、批判される事は承知の上である。元より私は、そんな戯言は意に介さない。私を批判するのなら、Aを巻き込む姑息なやり方ではなく、私に直接言えば良いだけの事。そして私のブログが気に入らないのなら、読まなければ良いのである。自分だけが正しいと思い込み、他人を批判するだけの性格には、救いようのない哀れさを感じる。

事の発端を話そう。先月のある日、私が多忙を極めていた頃、Bが動画を作成したので見て欲しいと送りつけてきた。ところがタップした途端にフリーズしてしまった。本来ならば、この時点でアウトである。動画は相手の通信環境に負担をかける。それを承知で送りたいのであれば、送ってもいいですかと、私に了承を得るべきである。その後、閲覧不可をBに伝えたところ、フォーマットを変更したので、これで見られますよと再度連絡してきたのだ。
月曜日の朝10時である。この時間帯は、誰もが仕事の真っ最中。常識ある人ならば、通常は避けるはずである。Bのお気楽対応は、迷惑千万極まりない。正に恥の上塗り。バカにつける薬は無いを実感した。この事で、私のイライラは頂点に達していた。

理由は他にもあった。私の会社の税理士さんが、緊急入院してしまい、決算を任せられる税理士さんを探さねばならない事態に陥っていたからである。法人企業の2月は決算前。書類の整理に追われる多忙な時期である。この時はBに対して、こちらの事情も考えず、自分の希望を強要するのは賢明では無いと伝えた。恐らくこれに反応して、私を批判するメールをAに送信したのであろう。全くもって稚拙な逆恨みである。さらに付け加えるのであれば、BはAを利用して私のブログに動画を紹介してもらおうと画策した節がある。なぜならば、Bが私に動画を送信する以前、Aにメールを送り、Aから私に働きかけようとした事を知っていたからである。悪口ならまだしも、友人を出汁に使う人間は、断じて許す事ができない。

思えば、Bは私の部下当時から二面性があった。相手により、自分の態度を使い分ける人格の持ち主。過去にはこんなこともあった。記事への協力を依頼した際、私には「協力します」と言いつつ、Aには「面倒臭かった」と伝えているのである。Bの二枚舌発言が、必ず私の耳に入ってくる事も滑稽極まりない。ウソをついてもバレバレ。そして陰口を叩けば、回り回って自分のところへ返ってくるのだ。因果応報を地でいく人物のようだ。この発言を知った事で、AはBに見切りをつけたという。

Bは現在もブログを見ているであろうから、ここではっきり伝えておきたい。私はブログを綴る際には、予めテーマを立てている。お気軽な思いつきで綴っているわけではないのだ。そして一人でも読者がいてくれるのであれば、読むに耐えうる記事を作ろうと心がけている。それが読んでくださる人への感謝の気持ちというものである。それ故に、ありがとう、ごめんなさいが言えない人の紹介はお断りである。元より、その程度の事で陰口を叩く輩には、斟酌の余地は一切無いと断言する。大人である以上、自分の発言と行動には、きっちり責任を持ってもらわねばならない。本来ならば、相手にする必要もないが、このような人物を野放しにしたままでは社会に迷惑をかける。従って、お灸を据えてやろうと考えた。泣いて馬謖を斬る心境である。

最も効果的な方法は、Aと同じ方法で返す戦術、「プライドずたぼろ作戦」である。そこで私は、Bが記述した私の悪口に擬えてメールを作成。それをBに送信した。恐らくBは相当に驚いたはずである。陰口のつもりが私に筒抜けだったのかと分かるからである。因みにBは、子を持つ親である。※1 子供の模範になるべき親が、その程度のお粗末な人格とは余りにも情けない。素直に謝罪してきたら少しは見直しても良いのだが、プライドだけ高い、小心者のBには無理であろう。

私は他人を喜ばせたくてデザイナーの道を志した。そして会社設立の際には、行政書士の手を借りず、自分自身で申請した。会社設立の意義を感じ、責任を自覚する為である。平凡な人生を送ってきたであろうBに、私の心意気など分かるまい。またBは、かつての同僚として、様々な手助けしてくれたAに対しても、感謝の気持ちを忘れている。それどころかA曰く、常に上から目線のメールを送ってくるという。Bは否定するであろうが、人は普段から思っている事が言葉や態度に出るものだ。恩を忘れた人間は、いずれその報いを受ける事になる。私がBに望む事は、他人に感謝して、幸せを願う人間になって欲しいのである。それが出来ないのであれば、Bの周りには誰もいなくなってしまう。これを機に、自分の考え方を顧みて、他人の幸せを願うような人物に変わる事を望む。最後に、Bは誰なのかと?1ブロック上の※1をご確認の上、2月11日公開の記事画像をご覧ください。バレバレですよ。

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