こんなオチは受け入れられない。 日本中が喪失感に襲われた志村けんさんの死去。 こんな人はもう二度と現れないだろう。
2020年11月24日志村けんさん
居て当たり前の人が突然居なくなる。これほど虚しいことは無い。
コメディアンの志村けんさんが3月29日に死去された事を受けて、先週から様々な追悼番組が放送されている。ボクは今、それらのビデオを見ながら、喪失感いっぱいでこの記事を書いている。卒直に言えば、志村さんの死は、「残念です」では済まされない事だ。志村さんは、ボクが少年時代から憧れの人だ。多くの人はドリフターズのメンバーとしての功績を称えるのだろうが、ボクは、8時だョ。全員集合!終了後の新しい笑いを作っていった喜劇職人の印象を持っている。テレビ番組で言えば、カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ、バカ殿様、志村けんのだいじょうぶだぁ、の3本だ。
守りつつも攻める。笑いの可能性を追求して、
新しいモノに挑戦し続けた志村さん。
1986年には、全員集合の後番組として、カトちゃんケンちゃんごきげんテレビが制作された。この番組は全員集合で最も人気があった加藤茶と志村けんの2枚看板を打ち出したバラエティ番組としてスタート。当時の加藤さんと志村さんは、全員集合という怪物番組を超える番組を作ろうと相当意気込んでいたと思う。全員集合の良さを残しながら新しい笑いを作るという難しさ。加藤さん、志村さんと言えども容易ではなかったはずだ。この課題は後の冠番組、志村けんのだいじょうぶだぁで実を結ぶ。
だいじょうぶだぁは、ボクと妻の最も思い出深い番組
志村けんのだいじょうぶだぁは1987年の11月に放送開始。ラッツ・アンド・スターの田代まさしと桑野信義をサブキャストに迎え、それまで、コントの経験が殆ど無かった石野陽子(現いしのようこ)と松本典子をレギュラーメンバーに据えて始まった。この番組は、ボクと妻が東京で一緒に暮らし始めた頃にスタートした事もあり、志村さんの代表作として、特に印象が強い。贅沢に作り込まれた、実物の雰囲気たっぷりのセットや小道具に加えて、アドリブや楽屋オチを加えた志村さんの番組作りは、レギュラーキャストすら笑いを堪えきれず、NGを多発した。時代劇コントで酒を飲むシーンは、本物の日本酒を使って度々共演者を驚かせた。番組では、そういった部分もノーカットで放送された事で、視聴者の共感を呼び、高い視聴率をキープした。スピーディな展開に加えて、とことんツッコミ倒す志村さんのテクニックは、この番組で確立されたと言って良い。志村さんは、同時に新しい試みも行っていた。無音劇。宗次郎のオカリナのBGMだけで、台詞が一切ないドラマ仕立てのコント。殆どが人生の悲哀を描いた悲しい結末になるものだった。笑いの対極にある悲哀。当時の自分も涙をこらえながら見ていた記憶がある。当時の志村さんは、あらゆる可能性を考えて試行錯誤していたのだと思う。
志村さん、沢山の愛と笑いと、素敵な思い出を与えてくれてありがとう。
あなたの事は絶対に忘れません。長い間お疲れ様でした。
☆志村けんのだいじょうぶだぁ。石野陽子との夫婦コント
https://www.youtube.com/watch?v=l77_6kgMkbQ
☆志村けんのだいじょうぶだぁ。松本典子、石野陽子の出演最終回。(1992年)
番組のエンディングで、志村さんが松本典子と石野陽子の肩を抱くシーンは、
志村さんの優しさが溢れていて、涙無くしては見られない。
https://www.youtube.com/watch?v=cKfDOLuzflQ
2020年11月24日志村けんさん