強くて脆いウチの母。
Mothers Day
~母の日に寄せて~

2021年1月13日FAMILY STORIES

☆熱田神宮で撮影した写真と思われる。ボクが14歳、母が39歳の時。

84歳の母。大阪八尾市生まれ。名は巳知子(みちこ)実家は鉄工所経営。9人家族、7人兄弟の三女として生まれた。学生時代はスポーツ好きでバレーボールの選手だったらしい。母を一言で言えば強くて脆い人。子供の頃から負けず嫌いだったそうだ。ボクが幼少期の母のイメージはおしゃれで明るいお母さん。幼い頃から悪戯好きなボクは、ご近所や友人に迷惑をかけて母を謝らせてばかりいた。そんな母一番の特技は料理だろうか。何を作ってくれても美味しかった。料理については、若い頃から研究熱心だった。気になる料理がテレビ番組で紹介されると必ずメモを取っていた。日常では、ボクを連れて、近所の八百屋さんや公設市場に良く出掛けていた。母が毎日作ってくれたお弁当は、蓋ができないほど色とりどりなおかずがぎっしりと詰まっていた。同級生からは、羨ましいと言われた事を思い出す。

母が大阪の実家に帰省する時は、必ずボクを連れて行った。母の実家は、近鉄の八尾駅周辺にあった。新幹線は乗り換えが不便だと、いつも近鉄を利用していた。当時の近鉄特急は新ビスタカー、名古屋を出発すると鶴橋までノンストップだった。近鉄ならではの、デラックスな赤いモケット生地のシート。鉄道ファンのボクは、100キロで豪快に飛ばす新ビスタカーに乗れると喜んでいた少年だった。これがきっかけで、ボクが近鉄電車通になったのは間違いない。母は決まってアイスクリームを食べようと買ってくれた。若い頃の活動的な母の姿は今も脳裏に焼き付いている。母の実家に泊まると、今は亡き祖母が、母の事をみっちゃんと呼んでいたのが印象的だった。自分の娘を友達の様に呼ぶ祖母を見て、子供心ながら、親子の豊かな愛情を感じていた。年老いた祖父は嗄れた声で、章、章は元気にしているのか?勉強はしているか?と気遣ってくれた事も遠い日の懐かしい思い出だ。

☆8年間の東京生活を終えて、名古屋に帰る直前に母から届いた手紙。

親というものは、いつまで経っても子供の事が気になるのだろうか。1988年、東京生活にピリオドを打ち、名古屋に戻る決断をした年の冬、母から一通の手紙が届いた。手紙には、名古屋までのグリーン車の切符も同封されていた。8年間、東京での生活をねぎらってくれた母、最後だからゆっくり帰ってきなさいと結ばれていた。名古屋に帰った日、東京生活を支えて貰った感謝を両親に伝え、二人に賢島への一泊旅行をプレゼントした。旅行出発日の近鉄名古屋駅、NEWビスタカーの2階席から手を振ってくれた両親の姿は記憶に新しい。東京で一人暮らしのデザイン学校時代に、母から届いた印象深い手紙はもう一通ある。

上京以前から我が家で飼っていた愛犬は当時大人気の犬種、ポメラニアンのノンちゃん。上京一年目の秋、愛犬が亡くなったことをボクに伝えてくれた手紙にはこう書かれていた。「章、ノンちゃんが死にました。男なら泣くなよ」唖然として声も出なかった。母らしい文面だと思ったが、男であっても悲しい事は悲しい。もしかしたら東京で生活する間に愛犬との別れが来るかも知れないとは思っていたが、あまりに突然の事で動揺した。夏に帰省した時は元気だったノンちゃん。ボクが名前を呼ぶと、走って来てボクの体に駆け上がってきた。忘れずに覚えていてくれたのだ。デザイン学校を卒業する事だけを考えて課題制作に追われた日々。休日も無くギリギリの生活。心はいつも孤独だった。帰省してノンちゃんに会えることが一番の楽しみだっただけに突然の別れは心底堪えた。その時は何も考えられず新幹線に飛び乗って名古屋に帰った。家に着くなり、何故死んだんだ!と言った事を今も覚えている。その日は部屋から出ず、一晩中泣いていた。凹んでいたボクに愛犬の最期を話してくれた母、ノンちゃんはボクが東京に行ってから、人が来るのをいつも寂しそうに待っていたそうだ。今夜はおいしいものを食べてぐっすり眠りなさい。ノンちゃんは私達と章の心の中で今も生きているよ。心が落ち着いたら、東京へ戻ってまた頑張りなさいと言ってくれた。今も心に残る切ない思い出だ。

ボクも妹も、両親から豊かな愛情を受けて育った。ボクにとっての父と母は表裏一体の存在。母の身体と心を気遣う父、父の仕事を支え続けた母、二人が揃ってボクらの親なのだ。父が亡くなって以降、代わりを務めようと、母は少し意固地な性格になってしまった。昨今は足腰が弱くなったのか、一昨年には玄関で転び、腕を骨折して手術を受けた。右腕の関節には今も金属のボルトが入ったままだ。近年、ボクが様子見で実家に行くと、何事にも過敏で過剰に反応する性格になってしまったが、こちらの話には全く耳を貸してくれない。父の死後、食事に行こうと誘うと、「行きたい」と答えてくれたが、最近は「外に行きたくない」とキッパリ断られる。偶には歩かないと筋肉が落ちるよと言っても全然聞いてくれない。ボクが倒れる以前には実家には毎日訪れていたが、昨年から、母と話す度に口論になるので、実家に行くのも控えている。息子の立場から正直に言えば、本来の穏やかな母に戻って欲しいと思う。時代が移り変わる様に人の心も変わってしまうのだろうか。昔の様な、穏やかな親子関係には戻れないのかなと思うと少し寂しい。でも母さんが元気ならそれで良いよ。いつも気にかけてくれてありがとう。

☆Beautiful Night/Paul McCartney(1997 "Flaming Pie"収録曲)
母が入院していた頃、部屋から夜空を眺めて聴いていた曲。
母が生還することだけを考えていた日々だったが、
この曲を聴くと、母の退院の翌年に亡くなった父の事も思い出す。
ビデオクリップはアビイロードスタジオでのレコーディング風景。
ドラムスは元ビートルズのリンゴ・スター、
ポールと一緒に歌っている女性は、前妻のリンダ・マッカートニー、
ポールの最愛の人だったが、闘病の末、1998年に亡くなっている。
https://www.youtube.com/watch?v=MbwLqFXivWw

☆Martha My Dear/THE BEATLES (2018 Mix)
ポールが飼っていた牧羊犬のマーサについて歌った曲。
マーサは、1995年に発表されたビートルズの新曲
「Free As A Bird 」のビデオクリップにもCG合成で登場した。
この曲を聞く度に、ボクは愛犬のノンちゃんを思い出す(涙)。
https://www.youtube.com/watch?v=SQaqoNZ_35o

☆上京一年目の夏に帰省時の写真。
 これがノンちゃんと最後の再会になった。

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