セピア色の名優達54年前の七夕祭り。僕達来年還暦だって?~ star dust ~
2020年10月6日MEMORIES
本年3月に掲載した「幼稚園時代のひな祭り」の続編と言える記事。私が5歳の時に通っていた地元の旗屋幼稚園、七夕の日の写真である。紺色と白のコントラストが可愛い半袖のセーラー服だった。この写真に写る級友の名前はフルネームで殆ど覚えている。歳を重ねても記憶力だけは衰えていない。むしろ昔のことほどよく覚えている場合の方が多い。画像の中央に置かれた大きなスイカも覚えている。先生の名前もだ。そして写真に写る級友達の笑顔を見ると涙が出てしまう。一人一人の表情をよく見ると、当時のその子の性格が滲み出ているのだ。最前列左端の彼は、大きな声で笑う悪戯好きだった。その右の子は気弱でいつもいじめられていたが、お母さん想いの優しい男の子だった。なにせこの写真を撮影した日から54年が経過しているのだ。写真を紛失せず残っていた事も嬉しい。一枚の写真が幼少期の記憶を呼び覚まし、当時の思い出を鮮やかに蘇らせてくれる。
天井からぶら下げられた手作りの短冊や飾り。残念ながらモノクロ写真なので、実物の色は分からない。うっすらと記憶があるのは短冊の紙の色だ。数色用意されていたと思う。黄色や水色、オレンジ色などがあった。何色にしようかなと呟いた記憶もある。ただ、肝心の願い事に何を書いたのかは全く覚えていない。この写真を見て新たに発見した事は、女性担任の左側に貼られた大きな紙である。紙には生徒の氏名が書かれており、その下には✖︎印が付けられている事が判読できる。✖︎印の意味は全く覚えていないのだが何かルール違反をすると付けられていたのかもしれない。そしてこの写真でも私の右隣に幼なじみのO君が写っている。ひな祭りの記事でも記述したO君は、私が当時住んでいた旧実家の近所に住んでいた大の仲良しだった。小学校に通うようになると、彼の家で勉強をしたりカードゲームを楽しむ間柄だった。友達数人と、近くの公園で草野球をした思い出は幼少期一番の思い出だ。彼は私と同じ地元中学を卒業後、高専に進学した優秀な子供だった。彼が高専に進学が決まり、別れの挨拶を交わした数年後の夏。彼は交通事故で亡くなったのだ。彼の通夜に駆けつけた日の事、肩を落としたご両親の姿は唯々痛々しく、今も切ない思い出だ。
写真に写る女の子の中には、その後同じ中学に進学して私が好意を寄せていた子がいる。みずえちゃん。授業中、私が彼女に誰か好きな子はいる?と書いたメモを渡した時のこと。彼女は私の名前を書いたメモを返してくれた。ビックリでドキドキ。その日一日中幸せな気分だったことを今も覚えている。これが私の初恋だったのかも。
☆スターダスト(シャボン玉ホリデー)
スターダストで思い出されるのは、バラエティ番組のシャボン玉ホリデー。日曜日の夜、牛乳石鹸の提供で、ハナ肇とクレージーキャッツ、そして国民的人気だった双子のデュオ、ザ・ピーナッツが繰り広げた音楽バラエティ番組である。当初からカラー放送だった同番組は、父が良く見ていたので私も一緒に見ていた。大人の香り漂う番組ながら、クレージーキャッツの繰り広げる笑いの世界に引き摺り込まれた。この番組で生まれた名セリフが、植木等の「お呼びでない?こりゃまた失礼致しました」である。この番組が人気を得た事で、ザ・ドリフターズの8時だョ全員集合!に繋がっていったのだ。
既にザ・ピーナッツを知らない方もいるであろう。1959年に歌手デビュー。後にシャボン玉ホリデーのメインキャストとなり人気を不動のものにした。更に驚くのは、ビートルズも出演した事があるアメリカCBSの人気番組、エド・サリバンショーにも出演したのだ。ザ・ピーナッツは、愛知県常滑市の生まれで、後に名古屋市内で暮らしていた。1975年、姉の伊藤エミが沢田研二と結婚して芸能界を引退。沢田との間に息子をもうけたが1987年に離婚した。病気で2012年に死去。妹の伊藤ユミも2016年に死去している。海外公演や映画出演などにより、ドイツやイタリアでもザ・ピーナッツの名を知っている人が多い。ハナ肇とクレージーキャッツ、ザ・ドリフターズと共に、渡辺プロダクションの黄金期を支えたタレントであった。
https://www.youtube.com/watch?v=olhmZH0v5d8
2020年10月6日MEMORIES