憧れの東京生活は
ウォークマンと共に。
ソニーデザイン❶ 

2020年10月6日SONY DESIGN

少年の頃からソニーのプロダクトデザインが好きだ。高校に入学して、父がソニーのコンポーネントステレオを購入してくれて以来、家族全員ずっとソニーファンのままだ。
グラフィックデザイナーを目指して東京のデザイン専門学校に通っていた2年目の初頭、新型ウオークマンの発売を知り即買い求めた。ウォークマンの人気を不動のものにしたWM-2。初代を更に一回り小さく改良した驚異のカセットテープサイズ。おしゃれなシルバーグレーのボディにソニーらしい洗練されたインターフェイスデザイン。ヘッドフォンのスポンジ部分がオレンジ色というビビッドなコーディネートにも惹かれた。何もかもが魅力的だった。

後日雑誌の記事で知った事だが、ウォークマン2の開発はカセットテープサイズが前提で企画されたという。カセットテープサイズの木型を手にした社長が現れ、このサイズでステレオプレーヤーを作って欲しいと指示したと言う。開発当初のエンジニアは、いくらなんでもそれは無理だろうと思ったらしい。しかし実現してしまったのだ。それがソニーの凄いところ。
WM-2は後にブラックとレッドのカラーが追加された。

惚れ惚れするほど良い音だった。これが第一印象。

購入後初めて聞いた時は本当に驚いた。惚れ惚れするクリアなステレオサウンド。バッテリーは単三乾電池2本のみ。当時はまだ、強力なアルカリ電池も流通していなかった。オープンエア方式ヘッドフォンの効果もあってか、小さなボディからなぜこんなに良い音が出るのかと、唯々驚いた。ウォークマン2の販売台数は250万台。録音機能を持たないカセットプレーヤーなど本当に売れるのか?と疑念を抱いていた開発チームの予想を覆す大ヒットとなった。この時代のソニーのプロダクトデザインは群を抜いていた。ウォークマン、テレビ、ラジカセ、コンポーネントステレオ、ウォークマン2の発売当時、白物家電以外は全てソニーで揃えたいと思っていたほどだ。デザイン学校に通っていた頃は、休日になると、銀座のソニービルに出掛けて、ソニーのさまざまな製品デザインをつぶさに見て回った。当時ソニービルの中には、サントリーのアンテナショップなどもあり、おしゃれなデザインのTシャツを土産に帰った。物心ついて以降、一貫してプロダクトデザインが気に入ったメーカーはソニーだけである。現在、私が仕事場で使っているパーソナルミニディスクシステムはZS-M35。20年前の製品にも関わらず一度も修理せずの完動品である。WM-2以降の、カセットテープを使用するウオークマンシリーズは進化し続け、毎年ラインナップを拡充していった。カラバリエーションは勿論のこと、オートリバース、フェザータッチオペレーションの高級モデルまでも出現した。私にとってのウオークマンは持ち運べるステレオとして、通学通勤、帰省など、一人暮らしに欠かせない存在だった。8年間の東京生活では3種のモデルを所有していた。

あのソニーがロゴマークを変更する?

奇しくもウォークマン2が発売された年の事。ソニーがロゴマークを変更するという事が判明。新しいデザインを世界から公募すると言うニュースがリリースされた。私が通っていたデザイン学校も公募に参加しますと言われ、全生徒が課題の提出を要求された。しかしながら、デザイン学校の仲間内では批判的な意見が大勢を占めていた。なぜなら変更する必然性が感じられ無かったからだ。私を含めて、学内の生徒が抱いていたソニーのロゴマークイメージは、伝統と技術力を感じさせ、ブランドの安心感に溢れた秀逸なデザイン。ソニー=高品質に直結させるものだった。世界的に認知されている好印象のロゴマークをなぜ変える必要があるのか!が大半だった。今見てもSONYのロゴマークは世界品質の象徴ともいえるものだ。極論を言えば私の様に、このロゴマークが付いているからソニー製品を買うというユーザーが多いのも事実。それ故にロゴマークを変更する場合、世界中のソニーユーザーが納得できる様なデザインクオリティでなければブランドイメージを失墜する事にもなりかね無い。そんな危険な賭けに出る必要など無いだろうと言うのが大方の意見だった。公募という点を除けば、課題の提出は授業の一環という事になる。私も血眼になって毎晩アイディアを出して課題提出に挑んだが、案の定、ソニー経営陣の判断でロゴマークは変更せず、公募自体も中止となった。やっぱりか。でも変えなくて良かった。ソニーファンからすればそれが本音だろう。ロゴマークの変更を取りやめる代わりに制作されたのがサウンドロゴである。it’s a Sonyのセリフと共にドットで構成されたSの文字が迫ってくる印象的なものであった。覚えている方も多いと思う。サウンドロゴが使用され始めると同時に、Sの文字とキャッチフレーズをVI化した透明シールが製品本体に貼られて出荷されていた。

☆SONY サウンドロゴ

https://www.youtube.com/watch?v=qGj-gE0GE1M
新しいロゴマークの公募取り消し後から40年、今もSONYのロゴマークはオリジナルのままで生き続けている。古いからと、何でもかんでも新しいデザインに変えてしまう事は、ユーザーに失望を抱かせ、ファンを失う事にもなりかねないのだ。因みに現在のロゴマークは6代目である。

ウォークマンで始まり、ウォークマンで終わった東京生活。

ウオークマン2と共に始まった私の東京生活は1980年から8年間。1988年の12月、東京に別れを告げて名古屋に戻る際、新幹線の車内で使用したモデルはメタリックレッドのウォークマンだった。その後経営者として有限会社アムトレックを設立した1993年以降はクルマ通勤に変わり、ウォークマンを聴く機会すら無くなった。日本が最も輝いていた1980年代、ウォークマン2と共に過ごした東京での生活は、数々の人生経験を味あわせてくれたかけがえのない日々であった。

当たり前を見直す機会と捉えて、生活環境やビジネスを変えるチャンスだ。

今から40年前、ソニーの一強体制だったポータブルオーディオプレーヤーは、iphoneなどの携帯電話、youtubeなどの動画配信サービスの台頭により、当時とは大きく異なってきている。元より音楽業界自体もかつての様な元気が見られない。視聴率が落ち込み、毎年の様に批判される紅白歌合戦でも明らかだ。もはや歌合戦の時代では無いのだ。今までの時代は、新しいハードウエアが登場する事で時代の変化を感じて来たが、これからはそうでは無い。例えば映画の世界。最近では映画館で見る人が激減したと言われる事が多い。携帯電話の小さな画面で映画を見る事に人が慣れてしまったからだと嘆く人もいる。確かに一理ある。折しもコロナ禍で外出を避ける傾向もある。しかしである。何事も当たり前の様に生活して来た現代人にとっては、それを見直す絶好の時期だとも言える。マイナス思考では生き方が小さくなるばかりだ。1979年に登場したウォークマン1号機の背景には、録音機能は搭載しないと割り切った事で実現した商品企画である。あれから41年の時が経過している。残すところと変えるところ。変えなければいけないところ。私自身も当たり前の生活と仕事を見直す良い機会だと感じている。人生ってそういうものじゃないのか。

ウォークマン2が発売された1981年の洋楽
☆Down Under/Colin Hay(Ringo Starr & His All Star Band 2003LIVE)

オーストラリアのロックバンド、メン・アット・ワークが1981年にリリースした楽曲。
コリン・ヘイはバンドのヴォーカルだった。この曲は今聴いても古さを感じさせない。
ビデオクリップはリンゴ・スター&ヒズオールスターバンドに参加した2003年のライブ。
パーカッションはシーラE。リリース当時から大好きな曲である。
https://www.youtube.com/watch?v=4i8GPA00sgc

☆Woman/Jhon Lennon(1981)
ジョン・レノンの遺作となったアルバム「ダブルファンタジー」に収録された楽曲。
ジョンのソロキャリアの中でもベスト5入る楽曲と言えるだろう。
透明感のある、キャッチーなメロディーは何度聞いても心が安らぐ。
ジョン・レノンは1980年の12月8日、自宅前でファンに射殺された。
https://www.youtube.com/watch?v=ZhfWiU8wGCc

☆1981年、デザイン学校の2年目に知り合った
クラスメートの真由美ちゃん。
心優しい彼女に恋心を寄せた時期もあったが、
友達以上の間柄に発展する事は無かった。

 

2020年10月6日SONY DESIGN