追悼。
今も忘れ得ぬ大惨事。
JAL123便墜落事故。  

2020年10月7日MEMORIES

ようやく梅雨明けした、名古屋の夏は、体にまとわりつく様な嫌らしい暑さだ。思えば子供の頃は、夏休みに入る直前が一番楽しいと感じていた。中学生時代の夏休みは、友人と近鉄電車に乗って松阪まで行き、櫛田川で釣りをしたり、泳いだりした。高校生になるとロックバンドを組んでいたので、名古屋駅付近のスタジオで演奏した後には、スガキヤでラーメンとクリームぜんざいを食べるのがお決まりのコースだった。私は幼少期からルーズな性格だったので、始業式直前になると、溜まりに溜まった宿題をこなす日々に追われた記憶がある。灼熱の夏を楽しんだ後、お盆を迎える頃には高校野球も終わり、一気に秋の気配を感じる流れだった。そしてこの時期になると必ず思い出す事がある。35年前に発生した日本航空のジャンボ機墜落事故である。

☆墜落したジャンボ機の主翼

524名中520名が死亡。生存者わずか4名の大惨事だった。

ブログを始めようと決めた時、これは避けて通れないと感じた出来事がこの事故である。1985年8月12日午後6時56分。日本航空123便、羽田発大阪行きのジャンボジェット機(ボーイング747SR)が御巣鷹の尾根に墜落した事故である。乗客乗員合わせて524名、うち520名が死亡、生存者は機体後部に着席していたわずか4名という大惨事だった。まずは事故当日を回想してみる。当時の私は、恩師のKさんと共に、新会社に移籍して1年が経過した頃だった。7月末から4日間の夏休みを頂き、名古屋に帰っていた。会社の中では私が最も早く夏休みを頂いていた。なぜかというと、全員が効率良く夏休みを取る為には、遠方に実家がある人ほど先に休ませて頂くという暗黙のルールがあったからだ。私が夏休みを終えて出社した時には、入れ替わりで在京の仲間が夏休みに入っていた。出社人数が少ない社内でゆったりとした気分で仕事をこなしていた記憶がある。事故当日の8月12日。出社して簡単な清掃を行い仕事を始めた。仕事の区切りがついた夕方頃にテレビを見ていた時、ニュース速報のテロップが表示された。日本航空のジャンボ機が行方不明。レーダーから機影が消える。の様な文言だったと思う。その後、別な番組にチャンネルを変えても、何度も同じテロップが表示されたので、これはただ事ではないと直感した。

垂直尾翼の無いジャンボ機の画像は衝撃的だった。

折しも事故当日はお盆の帰省シーズンであり、帰宅ラッシュの時間帯と重なった事で、甚大な被害をもたらした。事故後に見たニュースや新聞記事で、最も印象に残っている事がある。事故機の垂直尾翼がほとんど無くなっていた画像だ。これは衝撃的だった。墜落の原因は、機体後部の圧力隔壁が爆発。これにより機内の空気が大量に放出され、垂直尾翼と油圧装置を破壊した事で操舵制御が一切不能になったのだ。回収されたボイスレコーダーには、「ハイドロプレッシャーオールロス」(油圧全て喪失)の音声も記録されていた。油圧制御不能をクルマに例えるならば、ハンドル操作が全く出来ないのと同じである。

羽田離陸直後の123便
 垂直尾翼がほとんど無くなっている。
☆画像中央の木々が欠けた部分が通称U字溝と呼ばれている部分。
 123便は右に大きく傾いた状態でここに主翼をぶつけて墜落した。
鳴り響く警報音の中、懸命に機体を立て直そうとしたクルー達。

123便が羽田空港を離陸したのは18時4分。そのわずか12分後に後部圧力隔壁が爆発。当初は管制塔に対して、羽田に戻りたいとリクエストしていた。しかしながら、機長とクルーは垂直尾翼の破壊に気付いていなかった。結果的に羽田に戻らなかった事を考えると、この時点で操舵不能だったのだろう。それでも機長とクルーは必死になって機体を立て直そうとあらゆる手段を試みた。主翼や尾翼のスタビライザー(昇降舵)や補助翼も操舵不能のまま32分間の迷走飛行を続けて危機を回避していた。この時のボイスレコーダーには、コックピット内に鳴り響く警報音、「山だ!頭上げろ!フラップ!MAX POWER!」(出力最大)と機長の声が乱れ飛んでいた。しかしながら、機長とクルーの努力も虚しく、最後まで機体を立て直すことができなかった。18時48分には、機長の「これはダメかも分からんね」18時54分には自機の位置が把握できない状態に陥り、同55分には急降下を始めた。ボイスレコーダーに残されていた最後の音声は警告音声の「PULL UP」(上昇せよ)と機長の「もうダメだ」その直後、御巣鷹の尾根に墜落して炎上したのだ。事故調査委員会の報告で明らかになった事は、123便が墜落する7年前、伊丹空港で尻もち事故を起こした際、修理を担当したボーイング社の不十分な補修作業が原因で金属疲労を起こしていた事が判明。これが原因で後部圧力隔壁が爆発したのだ。

☆座席表を元に制作されたニュースステーションのセット(放送当時のもの)
悲壮感が漂う客室と乗客の姿が思い浮かばれ画面を直視できなかった。

事故後には様々な検証番組が制作されたが、最も印象深い番組が、事故の4ヶ月後に放送されたニュースステーション(現在の報道ステーション)である。ニュースステーションは、キャスターの久米宏さんが企画会議から参画していた番組で、いかに分かりやすく、リアルに伝えるかに知恵を絞った番組だった。模型や人形などを使って工夫を凝らし、他のニュース番組とは一線を画す作り方が大好きで、放送開始から欠かさず見ていた。123便墜落事故の検証では、事故当時の座席表に基づいたセットを組み、乗客の年齢や性別をイメージさせる靴を並べたのだ。この時の映像を見た誰もが胸が締め付けられる思いに駆られたと思う。私自身も直視する事ができなかった。見ていて涙がこぼれ落ちた記憶がある。他局の検証番組では、乗客が家族に書き残したメモや遺書が紹介されていた。誰もが死にたくない、無事に生きて帰りたいと思っていたはずだ。だが夢は叶わなかった。520名の尊い命が一瞬にして御巣鷹山に散ってしまった。

できる事はこれしか残っていなかった。愛する家族に宛てた最期のメッセージ。

犠牲者の遺品の中には、家族に宛てたメッセージも見つかった。これをどんな想いで書いたのかと考えると胸がつまる。死の恐怖に怯えながらも、愛する家族に宛てた最期のメッセージ。もし自分が同じ様な状況に置かれたならば、この様な勇気ある心構えはできないかも知れない。極限状態でありながら、家族を気遣い心配するこころ。妻や子供にさようならと記したものや「◯子◯◯、両親をたのむ。◯◯立派になれ」と記されたもの、ご家族全員に対して「死ぬかも知れない。みんな元気でくらしてください。さようなら」と記されたものもあった。覚悟を決めた搭乗者の心中察するに余りある。

九ちゃんが死んじゃった。

123便には、有名歌手も搭乗していた。「上を向いて歩こう」を歌った坂本九さんである。坂本さんの死亡が報道されると、誰もが驚き、事故を知らない人に訃報を伝えた。事故当日は、元マネジャーの選挙応援に駆けつける為に123便に搭乗していた。後に分かった事では、坂本さんが飛行機で移動する際、通常は全日空機を手配していたらしい。ところがこの時は満席で確保できず、招待者側の判断でやむなくJALにした様だ。偶然とは言え、これが坂本さんの運命を左右してしまったのだ。坂本さんの遺体を確認した関係者の証言によれば、頭を抱える安全姿勢で亡くなっていた様で、即死状態だったのでは無いかと言われている。明るいキャラクターの坂本さんが犠牲になった事で誰もが落胆した。

あんなの人間の遺体じゃない。身元確認に訪れた遺族の絶叫と怒号。

123便は木々が生い茂る山中に墜落した事で、救出活動も困難を極めた。もう少し早く自衛隊が到着していれば、多くの命を救えたはずだと言う人もいた。遺体の身元確認が行われたのは藤岡市民体育館。墜落後に炎上した為、遺体の損傷は予想以上に激しく、身元確認は地獄絵図の様相だったと言う。当時はワイドショーなどで中継されていた記憶がある。遺体が安置された体育館の中では、遺族の絶叫と怒号が飛び交っていた。3人の娘を失った母親は、体育館を出て絶叫。日航職員におしぼりを投げつけて詰め寄った。「うちの娘とは違う、あんなの人間の遺体やない!」娘さんの座席は燃料タンクの近くで、火災による損傷が激しかったのだ。最後まで不明の2名を除き、518名の身元確認が完了したのは、事故発生から4ヶ月が経過した12月であった。

☆沢山のぬいぐるみが供えられており、幼い子供達が犠牲になった事が分かる。
命の儚さ。JAL123便は永久欠番となり、二度と空を飛ぶ事は無い。

事故から35年が経過した。123便は永久欠番となり、二度と空を飛ぶ事は無い。あの日以降、ご遺族らによる慰霊登山も毎年行われている。近年はご遺族の高齢化が進み、慰霊登山を控える方も増加していると言う。また慰霊目的では無く、観光地として登山する輩がいると聞くと怒りすら覚える。そんな心無い人がいるとは思いたく無い。常識のある大人ならば分かるはずだ。犠牲になった多くの方々の心、ご遺族の心に寄り添う人が増えて欲しい。飛行機を利用する以上、事故に遭遇する可能性は誰にでもあるのだ。私は未だに事故当時の状況が忘れられず命の儚さを感じている。あの様な大惨事が二度と起きてはならない。いや、決して忘れてはいけないのだ。誰もが何気ない毎日に感謝して精一杯生きよう。犠牲になった全ての方々に心からお悔やみ申し上げます。

☆昨年行われた灯籠流し
★123便関連のニュース映像

☆NHKのニュース速報(映像開始の2分50秒頃から)
これは私も見ていた記憶が鮮明に残っている。
ニュースキャスターは、直撃LIVEグッディ!に出演している
ジャーナリストの木村太朗さん。
https://www.youtube.com/watch?v=qaoIem8SPeI

☆事故の検証番組
事故当時の123便の状況が良く分かる。
https://www.youtube.com/watch?v=-sk0W-uN1UE

☆見上げてごらん夜の星を/坂本九
坂本九さんの歌声の特長として、を→ホォと聞こえる事や、
たまに声が裏返ることがあげられる。
この曲を聞く度に、あの事故と九ちゃんを思い出す。
もういないのか、九ちゃん。
https://www.youtube.com/watch?v=3hNQsRmAAC0

2020年10月7日MEMORIES