高田本山に行ってきた。
コロナ禍の墓参り。

2020年12月30日FAMILY STORIES, with コロナ

☆高田本山専修寺は三重県唯一の国宝建造物。

三重県津市の高田本山専修寺(せんじゅじ)に来ている。ここには納骨堂があり、祖父母と父の遺骨が納められている。名古屋から車で1時間半ほどの距離だ。父が亡くなった頃は、母も一緒に来ていたが、母が高齢になって以降は、体調のコントロールが難しいらしく、同行を躊躇う様になった。私は毎年2回、必ずここに来る。祖父母と父の思い出に浸り、ご先祖に感謝の気持ちを伝える為だ。立派なお墓がある家の方は納骨堂を知らない方もいるかも知れない。納骨堂を簡単に説明すると、数点の遺骨を収納できるコインロッカーが、多数設置してある様な情景をイメージして頂くといいかもしれない。遺骨を収めるスペースはそれほど大きくは無いが、納骨堂のメリットは沢山ある。最大の利点は、室内なので、天候を考えずに行くことができる事だ。夏は冷房で涼しく、冬は暖房が効いて暖かい。次に清掃が容易な事。遺骨収納スペースは、扉付きで埃の侵入も防ぐ。高齢化が進んだ家族にとっては、維持管理が困難な大きなお墓を持つよりも、むしろ納骨堂の方が適しているのではないかとも思う。

☆荘厳な佇まいの納骨堂

私は祖父の事を殆ど知らない。私が生まれて、すぐに祖父が亡くなったからだ。生前の父から聞いた話ではお酒好きであったということくらいだ。一方、祖母については今も数々の思い出が残っている。私が幼少期の頃は、祖母と一緒に市電に乗って栄の三越まで行ったり、金山橋駅から名鉄電車に乗り、名古屋駅の名鉄百貨店まで度々行った記憶もある。祖母は外に出ることが好きで、度々旅行にも出掛けていた。私が一番記憶に残っているのは祖母が連れて行ってくれたバスツアー。従姉妹も一緒に行った。残念ながら、道中の記憶はほとんど残っていない。覚えているのは、河口湖から富士スバルラインを利用して五合目まで行った事ぐらい。通常五合目からは、目的に応じて、登山派とショッピング派に分かれる。私達は祖母と祖母の友人が同行していた為、登山は無理だろうと判断。五合目に宿を取り周囲の観光だけで帰って来た。現地では祖母の希望もあり、馬に乗せてもらった記憶は残っている。当時は現在ほど店舗が整備されておらず、子供心には少々退屈だったのかもしれない。

一人寂しく食事をしていた祖母の面影は今も私の心に残る。

もう一つ、祖母の思い出で鮮明に残っていることがある。小学生の高学年の頃。当時の祖母は歯が弱ってきており、家族とは別に、和室で一人で食事をしていた。私が朝起きて、下の階に降りていくと、部屋の奥からいい香りが漂っていた。出汁が効いたお味噌汁。私が和室に入ると祖母は決まってこう言った。「章君、ご飯食べていくかい?」一瞬考えて
「おばあちゃん、ありがと」「でも大丈夫」子供心に親と食べるか、祖母と食べるかの様な複雑な気持ちの記憶がある。その数ヶ月後、祖母の病気が判明して入院となった。

初めて経験した身内の死。祖母の死去は子供心に堪えた。

祖母が実家近くの病院に入院した時は毎日の様にお見舞いに出かけた。その後手術を受けて回復したが、再び病に襲われた時のショックは今も忘れていない。祖母がいよいよ危ないとなった時、私は従兄弟の家に預けられた。その日の夜、実家から電話があった事で、祖母は死んでしまったのかと直感した。直ぐに叔母さんが部屋に入ってきてこう言った。「章君、おばあちゃんが亡くなったよ」「明日、一緒に家に帰ろうね」叔母さんが部屋を出てから寂しさが一気にこみ上げてきた。

   ☆立派なハスの花が咲いていた。
自分の泣き声が聞こえない様に、目の前にあったレコードをかけてごまかした。

大好きな祖母が亡くなった。連絡を受けた時は止めどなく涙が溢れた。自分の泣き声が聞こえない様に、目の前にあったレコードをかけてごまかした。翌日、叔母さんと一緒にタクシーで家に帰ると、既に生花が飾られて通夜の準備が行われていた。この時は黙って堪えていたが、翌日の告別式では堪えきれず号泣した。おばあちゃん子だった小学生の自分にとって、初めて経験した身内の死はただひたすらに悲しい出来事だった。

☆心にすっと入ってくる教え。
日本中が同じ方向を向いていた昭和の時代。

祖母が元気だった当時、旧実家の町内では、おめでたい事は町内全員で喜び、悲しみは皆で分かち合う雰囲気があった。祖母の告別式には、ご近所の方が大勢で訪れて、お手伝いしてくれた。良くも悪くもそういう雰囲気があったのが昭和の時代。日本中が同じ方向を向いて結束していたのだ。私達はそんな時代を生きてきたので、今の時代とは隔世の感がある。専修寺に来る度に想うこと。ご先祖様に感謝。皆様がしっかり生きてくださったから私達は存在する事ができました。ありがとうございます。そしておじいちゃん、おばあちゃん、私もいよいよ来年還暦を迎えます。おばあちゃんとの楽しい思い出は今も忘れていないよ。最後にお父さん、愛情豊かに育ててくれてありがとう。母さんも妹も元気だから心配しないで。冬になったらまた来るね。

私が泣き声をごまかすためにかけたレコードはこの曲。

☆太陽がくれた季節/青い三角定規(1972)
日本テレビ系列で放映された、村野武範主演の青春ドラマ「飛び出せ!青春」の主題歌。
落ちこぼれの生徒を集めた太陽学園。とりわけ劣等生が多いサッカー部を任された新任教師の河野武(村野)と生徒の学園生活をコミカルに描いた作品。村野の考えに理解を示すマドンナ役には酒井和歌子を起用、レギュラーの主要な生徒役には剛達人と石橋正次を起用した。主要な女子生徒役には、セクシー派の青木英美と、清純派の大田黒久美を起用。人気を二分していた。青春ドラマの代表的作品で、最もヒットした番組である。私はこのドラマのファンで、父と一緒に見ていた。この曲をご存知の方は私と同世代だと思う。
因みに、私がファンだったのは青木英美さんの方である。
青木さんは現在もショップチャンネルなどに出演中。
https://www.youtube.com/watch?v=DyZjOYUHb3M

☆飛び出せ青春ポスター?
最上段が剛達人(現剛たつひと)
中段のセンターが村野武範
下段のセンターが青木英美
現在の青木英美(67) 歳を重ねて更に美しくなった感がある。
当時よりも今の方が良い。
大田黒久美

2020年12月30日FAMILY STORIES, with コロナ