ハラハラドキドキの
万引きGメン
私のアルバイト体験❷ 

2020年10月11日EXPERIENCE

☆イラスト:ケロール星人F1号 仕事仲間が描く私のイメージには少なからず悪意を感じる。

私は1993年に有限会社アムトレックを創立したが、順風満帆に進んできたわけではない。家族間の対立や倒産の危機なども経験してきた。とりわけ父が死去した2007年は、業績の悪化、父の事業の整理などに時間を要して疲れ果てていた。また翌年には、寂しさを癒してくれたジリスのコロンも亡くなり更に凹んだ。仕事仲間に助けられながらの日々だったが、心に大きな穴が開き、仕事意欲も完全に喪失した。この時は、長年にわたり収集したコレクションを大量処分して、会社の経費や維持費に回した。最後まで手放すのを躊躇ったが他に道は無かった。それでも事態は変わらず、時間だけが無情に過ぎて行った。2010年、このままではいけないと思い、気分転換のアルバイトと割り切って応募したのが、リサイクルショップの私服保安員である。

専門の訓練を受けていない自分が保安員などできるはずもない。

その店は万引き被害が多く、対策に苦慮していた様で即座に採用された。私服の保安員なので、制服を着用する必要が無いところも応募の決め手になった。しかしながら、専門の訓練を受けていない素人が保安員などできるはずもない。どうしたものかと考えていた矢先、店からある人を紹介された。既に系列店で保安員として勤務していた男性である。便宜上Tさんとさせていただく。Tさんが保安員になる前は、物流の関連企業で、フォークリフトを運転していたらしい。そして工場を辞めた後、希望の就職先が見つからず保安員になったと聞いた。私の様な年齢になると、定職を離れて再び企業で働く事は不可能に近い。Tさんはその後独学で保安員の基礎を学び、自分のポジションを作り上げたと言う。当時は店一番の検挙率で、上層部から一目置かれた存在だった。自分の歩んできた道とは大きく異なるが、Tさんの生きる姿勢には共感を覚えた。今の自分に必要な事は、プライドを捨てて、現状を受け入れる事。そして少しばかりの勇気を持つ事だと悟った。人生は結果が全てでは無い。どう生きたか、それが最も肝心なのだ。

あなたは大丈夫?こんな人が保安員にマークされている。

私が万引きGメンに採用された当時、私の知人には保安員や関係者は一人もいなかった。そこで考えた。一番優秀なTさんから知識を学び、見よう見まねで始めようと。私は何か上手になりたいと思った時は、優れた人のスタイルをまねる事が一番の近道と信じている。ある日の午後、Tさんに本心を打ち明けて頭を下げた。彼はその場で快諾してくれた。翌日からTさんに張り付いて色々教わった。最初は要注意人物の三箇条。❶手に商品を持ち売場を彷徨く人、❷リュックやマイバッグなど、ジッパーを閉じず口を大きく開けている人、❸挙動不審な人。ざっくり言うとこの3パターンである。但し一部に例外はある。レジを通過せず、カゴごと持ち帰る。所謂カゴ抜きと呼ばれるものや、パッケージを破壊して中身のみを抜き取る中抜きなどもある。この他にも、自分が購入できなかった限定品などを、他人のレジカゴから抜き取り、ポケットなどに隠して持ち去る者など、その手法は多岐にわたるのが現実だ。また、お客に因縁をつけられても、我慢する事。口論してはいけないと教わった。

万引き犯確保の絶対条件は現認。

こいつは怪しいと確信しても、自分の目で犯行の一部始終を見ていない限り、確保してはいけないという暗黙のルールがある。所謂現認である。現認の最大の理由は、誤認逮捕や言い逃れを防ぐためだ。万引き犯は、自分が嫌疑をかけられた時に備えて、❶対策や❷言い逃れを用意している場合が多い。
❶盗んだ品物を店内に隠したり、友人に渡したり、その場で破棄する。
❷これは自分が家から持ってきた物。あるいは、この店の商品では無いと言い張るなど。
憶測や勘で犯人を確保してしまうと、訴訟になった時、店の過失を問われる可能性が極めて高い。だからこそ犯人確保には現認が必須なのだ。また、万引きを偽装して保安員を罠にかけ、賠償金をせしめる輩もいると聞いた時、これは本気でやらないと大変な事になると直感した。

売り場で最も被害が多かったのはアルカリ乾電池。

私が勤務した店はリサイクルショップだが新品も扱っていた。菓子や飲料などの食品、衣料品や靴、化粧品や雑貨など、扱い品目は多岐にわたっていた。高級時計やライター、宝飾品などは鍵付きのガラスケースに入れられているので心配ないが、客が自由に商品を手にできる売り場で被害が多い商品はアルカリ乾電池だった。アルカリ乾電池は高価な上、手中に隠しやすいので万引きしやすい商品と言える。この他にDVDやCD、文具などの被害も極めて多かった。プラスチックケースに入ったドリルビット(ドリルの刃)なども、ケースをこじ開けて中身だけ取り出してある例もよく見かけた。

手口が巧妙な衣料品の万引き。

衣料品も万引き被害が多い商品だ。そして手口が巧妙なのだ。入店する時に手ぶらの客が店を出る時は両手に紙袋。こういうのが最も怪しい。両手に一杯の服を持って更衣室に入り、試着を装ってバッグに入れる例もあった。また、保安員にマークされている事に気づいたのか、紙袋に入った洋服を試着室に置いたままの状態を見た時もあった。この他衣料品で多かったのが、タグを切られている事だ。タグを切られてしまうと、店の商品と判別ができない。仮に犯人が盗品を着用していても言い逃れができてしまう。店があらゆる防止策を考えても、犯人は常に裏を突いてくる。日々その繰り返しなのだ。

保安員の私の目の前で犯行に挑んだ強者もいた。

私が保安員のアルバイトを始めてから最も驚いたのは、私の目の前で犯行に挑んだ者がいた事だ。各売り場を巡回中の事だった。階段を使って2階から1階の食品売り場に降りてきた時、左手に大きな紙袋を手にしたスーツ姿の男が視界に入った。その男は私と目を合わせるのを避けた様に感じた。もしかしたらやるかもと警戒していた数秒後、ガサッという音と共に紙袋の中にワインが吸い込まれるのを現認できた。男の肩に手を添えて事務所まで連行した。大胆不敵とはこの事だ。保安員の私の目の前で万引きした強者。そんな勇気があるのなら、真っ当な仕事をしたらどうだと思った。こんな犯行もあった。DVDソフトの売り場。外見は普通の高校生の様だった。私がマークしているにも関わらずしゃがみ込み、リュックの中に5本のソフトを押し込んだ。一発アウトだ。

再犯率60%以上、しかも高学歴の人が多いから始末が悪い。

万引きは一種の病気と言えるかもしれない。私が勤務していた店では、例え初犯であっても、顔写真を撮られて警察に通報。出入禁止となる。しかも再犯率が異常に高いのが万引きである。私が保安員として採用された時に見せられたアルバムには、犯人の顔写真がストックされていた。会社の経営者や大学教授など、高学歴な人が多い事に驚く。ゲーム感覚なのだろうか。数百円や数千円の商品をくすねて人生を棒に振るなど、到底理解できなかった。しかし、これが現実なのだ。わずか数百円の品であっても、一円の対価も得られない店にとってはなんの得にもならない。繰り返されるほど被害が大きくなる。昨今では万引きが原因で倒産した店もあると聞く。

ある時、Tさんに同行した際、女性の万引き犯に遭遇した事があった。外見は30代前半、長い髪を束ねていた。Tさんは物陰に隠れて私にこう言った。「この人は必ずやるから」その数分後、Tさんは女性に声をかけた。その後、Tさんにブラウスの裾を掴まれて事務所に連行される姿を見た時は人生の悲哀を感じた。それから数ヶ月後、私は保安員のアルバイトを辞めて本業に復帰した。デザイン学校時代から様々なアルバイトを経験したが、多くの事を教わった。また色々な人生にも遭遇した。最も印象に残っているアルバイトは、高校1年の夏にした染色工場であろうか。最悪の環境下でありながら、働く事の充足感を感じた。お疲れ様と言われた時の爽快感。これが自分の仕事観の基本だと思う。何の仕事であろうが、人に喜んでいただいてなんぼが私の天職なのだ。

☆2010年の思い出深い曲。

☆涙がこぼれちゃう/JULIE with THE WILD ONES
長年にわたり、沢田研二をプロデュースしてきた加瀬邦彦が、
1年間限定で、沢田と音楽活動を共にする為に作られた楽曲。
湘南サウンドを思い起こさせる曲で、歌詞も味わいがある。
ジュリーファンの私は、もしかしたらこの曲でベスト10入り
するのではないかと期待したのだが実現しなかった。
加瀬邦彦は闘病の末、2015年に自殺を図り死去している。
https://www.youtube.com/watch?v=ocJ8XkmYNyA

2020年10月11日EXPERIENCE