Boys, be beautiful guy. 少年よ、キレイなおじさんになろう。
2020年11月22日LIFE STYLE
☆撮影年(満年齢)
6月にセルフカットして以来髪を伸ばし続けている。恐らく今まで最もロン毛になっているはずだ。今回は髪型とイメージをテーマに綴ってみたい。私は小学生まで、近所の理容室で整髪していた。髪型を気にする様になったのは中学生以降だろうか。卒業後に入学した県立高校は服装や髪型に厳しく、月一で頭髪と服装検査があった。私は検査前日に少しだけ髪を切り、いつもギリギリで切り抜けていた。生徒を一律で枠にはめようとする古臭い教育方針にはうんざりして、入学以降は勉強意欲も完全に喪失していた。
高校卒業後は、これで自由な髪型にできると思いすぐに髪を伸ばし始めた。グラフィックデザイナーを目指して上京後は肩にかかる長さになり、美容室でカットしていた。生まれて初めてドキドキしながら美容室に行った時、美容師のお姉さんから、「芸能人なら誰の髪型にしたい?」と聞かれた。私はすかさず「ジュリー」と答えた。断っておくが現在のジュリーではない。勝手にしやがれを歌っていた頃の、全盛期の沢田研二に憧れてである。美容師のお姉さんにはこう言われた。ジュリーみたいにしたいのならもう少し髪を伸ばしなさい。東京に住んでいた頃、カットはこのお姉さんにずっとしてもらっていた。思えばこの頃は父の髪型も長めになっていた気がする。当時は男性も長髪が流行っていた時期なので、父も変えようと思っていたのかもしれない。
東京で生活していた頃、カットは美容室、月に一度は理容室で顔剃りをしてもらっていた。美容室は、化粧に付随する程度を超えた顔剃りはできない。この辺りの法律的解釈は現在も曖昧だ。豊島区から板橋区に引っ越して以降は、近くの理容室で顔剃りをしてもらっていた。日曜の午後、理容室に出かけた時の事。薄いピンクのユニフォームを着た女性理容師さん二人だけの店だった。当時顔剃りをしてくれたお姉さんはナチュラルボブの可愛い人だったが、なぜかいつもこの人に当たった。顔剃りは理容室ならではのメニューで、最初に襟足とうなじを剃られる。その後は椅子を倒され、シェービングブラシで泡立てた石けんを顔に塗られる。お姉さんはいつも私に「深剃りしてもいい?」と聞いてきた。「いいですよ」そのせいなのかこのお姉さんには、顔が泡に埋もれるほど何度も石けんを塗られた覚えがある。その後蒸しタオルで顔を包まれて数分、剃刀で剃られる。当時は睡眠不足気味で眠ってしまう事も多々あったがこの日は違った。お姉さんから「ごめんね、少し切っちゃった」と言われたからだ。確かにこの時は唇に鋭い痛みを感じた。私の唇を押さえていたお姉さんの人差し指を見ると血がついていた。あ~切られたかと思っていた矢先、お姉さんは小声で「続けて大丈夫よね」と言いつつ、更に石けんを泡立て、ブラシで塗りたくってきたのだ。(ヒェ~この状態で石けん塗るか)電気シェーバーを使う以前、自分でも経験があるが、剃刀で唇を切ると、殊の外出血して中々止まらない。一見止まったかなと思っても、指で触るとジワッと血が滲み出てくるのだ。しかもこの時は、傷口の上から更に石けんを塗られたので泡が染みて痛かった。(このお姉さんはドSに違いない)お姉さんが傷口に当ててくれたティッシュペーパーは血のついた範囲が徐々に広がっていった。その日は私が店を出るまでお姉さんは平謝り。「もう大丈夫ですから」と言っても「ホントにごめんなさい」の連続だった。恐らく血が染みたティッシュを見て慌てたのだろう。(傷の上からあれだけ石鹸塗られたら誰でも痛いはず)家に到着した時、ティッシュペーパーは真っ赤になっていた。これがきっかけで理容室の顔剃りも止めてしまった。
デザイン学校を卒業して、プロのグラフィックデザイナーとしてデビューした後も、カットは美容室で行っていたが、名古屋に戻って以降はセルフカットをしている。セルフカットで使う道具は、ダイソーのヘアカッター、前髪用のはさみとすきはさみのみ。後は独自のテクニックで何とかなっている。ダイソーのヘアカッターは髪をすくのにもってこいの優れモノ。使いなれると力の入れ加減や流し方が分かってくるから面白い。ハサミを使うコツは縦に入れる事。横にいれてしまうと所謂パッツンになってしまう。何年もセルフカットを続けていると、道具の使い分けと落とし所が分かってくる。セルフカットを上手に仕上げるコツは一気に切らず、少しづつ切る事。これに尽きる。
私は来年還暦を迎えるが、自分にショートヘアは全く似合わないと思っている。現在は1990年来日時のポール・マッカートニーのような髪型にしようと思い伸ばし続けてきた。ビートルズ時代にジョン・レノンが語った「髪が短いと、まるでズボンを履いていない様な感じだ」まったくもって同感である。私は若い頃から、顔つきが女々しいと言われてきた。当時から、それがどうしたと言う感じだ。おっさん臭い顔よりもずっと良いじゃないかと思ってきた。東京に住んでいた頃、新宿に遊びに行くと、見知らぬお兄ちゃんからこう言われた。「カノジョ~どこ行くの?」こんな時が度々あった。そんな時は男の前に立ち、こう言った。「誰が彼女じゃボケ!」「なんだ男か」その頃は痩せていてパーマもかけていたので女性に見えたのだろう。しかしながら、女々しい顔のおかげで得した事も多々ある。輪郭は母親似、目は父親にそっくりだと言われる。自分の顔?好きだよ。60年の付き合いだからね。男らしさよりも自分らしさが一番という考えは今も変わっていない。
一般的に言えば、男性は中学生頃から髪型を気にしはじめる。ヘアトニックやヘアリキッドなど、整髪料を使う様になるのもだいたいこの頃からだろう。私は当時からシャンプーをした後はヘアトニックしか使わなかった。何よりも清潔が一番。ヘアリキッドなど、あんなベタベタしたものをつけていたら将来髪が薄くなるのではないかと思っていたからだ。幸いにも髪の量は今も昔と殆ど変わらずだ。結果論ではあるが、あれこれと整髪料を使わなかった事が良かったのかもしれないが、今ではヘアトニックさえも使わない。シャンプーは毎日。長年LUSHの製品を愛用している。グレープフルーツとローズジャムがお気に入りだ。シャンプーで最も大切な事は頭皮のマッサージを忘れない事。ヘアケアはこれだけでずっとやってきた。起床後に髪をセットする時は、マシェリのパーフェクトシャワーEXを吹きかけるのみ。ウエーブや癖をつけたい時は、ロレッタのハードゼリーを使い、ドライヤーとロールブラシで自分流のスタイルに仕上げて終わり。
40歳後半から白髪が急激に増えてきたので、白髪染めは欠かせない。最初はメンズ用のブラックだったが、ほどなく女性用のブラウンに変えた。その後様々な製品を試したものの未だこれだという商品に巡り合えない。サイオスクリームヘアカラー→リーゼ泡カラー→シエロ泡カラーと使ってきたが、どれも大差なく決め手にかける。白髪染め後、更に色をつけたい時は一週間後におしゃれ染めをする。これには、ロレアルパリやリーゼの泡カラーを使う。キチンと白髪染めをしても、生え際から徐々に退色していくので、月一で染め続けないとあっという間に白髪が目立ってしまう。色についてももかなり研究して試した。リッチブラウン→ショコラブラウン→グロッシーベージュ→ヌードベージュ→プレシャスアッシュ→アッシュグリーン→クリスタルベージュ→さくらブラウン→最近はシエロ泡カラーのキャラメルブラウンに変えた。本当は白髪が目立ちにくいホワイトベージュ系にしたくて、ホワイトブリーチの選択も考えるのだが、髪への大きなダメージを考えると決心がつかない。かと言って市販品では自分の思う色には絶対仕上がらない。ここが最も悩むところだ。一方昨今では、グレイヘアと称して白髪染めをしない放ったらかしの人も多いと聞く。しかしである。私から言えば、白髪染めをしていない中高年は、ジジイと老婆にしか見えない。白髪染めをやるとやらないでは雲泥の差がある。人は外見を気にしなくなったら精神的にも老けていく一方だ。それは違うと思う人は、自分が何歳に見られているか周りの人に聞いてみたら良い。恐らく実年齢よりも15歳~20歳老けて見られているはずだ。若々しく見られたいと思ったら迷わず白髪染めをお勧めする。女性はともかくとしても、白髪だらけのジジイなど見られたものではない。何事も楽しめば苦にならない。私は来年、還暦を迎えた時にはエブリのヘアカラー、バタフライパープルに染めてみようと企んでいる。
男性は常日頃からスキンケアをしていないと40代辺りから皮膚がカサカサの見るも無残な状態に陥る。私もそうだった。時すでに遅しとは思いながらも、何もしないよりはマシだろうとスキンケアを始めた。またこれを機会に、肌の欠点を補正するカバーメイクも始めた。メイクを始めた直接のきっかけは、女性のパートさんが多く勤務する現場の仕事を請け負ったからである。仕事の主役は女性のパートさん。彼女達がピッキングした販促物を検品するのが私の役目だった。女性が圧倒的に多い現場の仕事は常に気を使う。女性は職場の男性をしっかり見ている。言動や態度、見た目のイメージにも手厳しい。そんな彼女達に気持ちよく接してもらう為にと始めたのがカバーメイクである。但しメイクといっても、シミを隠したり、肌の色を整える程度のもので、女性が行うメイクとは意味が異なる。でもやるからにはそれなりの成果を目指そうと、化粧品の種類やテクニックを勉強した。カバーメイクで肌を整え、どうせやるならと、ポイントメイクも勉強した。
カバーメイクで最初に揃えたものは下地用化粧品。ポール&ジョーのファンデーションプライマーとエスティローダーのファンデーション“ダブルウエア”。ポイントメイク用はアイブロウペンシル、クリアマスカラとビューラーを揃えた。眉の手入れ方法は色々あるが、剃刀で剃ったり、ピンセットで抜いたりと使い分けていた。眉を剃るのは怖い。誤って剃りすぎると、取り返しがつかない状態に陥る。現在は眉シェーバーを使っているのでその危険は無い。仕上げはインテグレートのアイブロウペンシルを使って描くが、シンメトリーに整えるのは、手先が器用なデザイナーの私でも難しい。アイメイクについては殆ど何もしなかったが、私はまつ毛が長いので、キャンメイクのクリアマスカラを塗ってビューラーでくるっとカール。親から授かったチャームポイントはおじさんになっても活かそうの思いだった。現在はクリアの上にブラックのマスカラをプラスする時もある。後は偶に気分で、インテグレートのリキッドアイライナーを使って目尻にラインを入れる程度。ポイントメイクはこれで完了。当時は外出前に、ボディミストと香水をほのかに香る程度つけていた。ボディミストはヴァシリーサのバケーションタイム。プルメリアとジャスミンの香り。香水はテイラースイフトのスターライトエディション。他にマジョリカ・マジョルカのロマンティカを使っていた。この3種はとても良い香りで現在も使っている。因みに現在の私は、外出時に限りポイントメイクだけ続けている。それ以外はやっても見栄えの悪い年齢になってしまった。でも楽しければ良いんだよ、人生は。
ある女性タレントがテレビでこんな事を言っていた。メイクは自分のためにするものでは無く自分の周りの人の為にするものです。なるほど、そうかもしれない。メイクが女性だけの時代はとうの昔に終わっている。今やジェンダーレスの時代だ。自分を磨く為なら、他人にどう思われようが全く気しない性格。60歳になっても、清潔でキレイなおじさんになる。自己流で貪欲に学ぶのが私のスタイルだ。次は何にチャレンジすっかな。
私のブログをお読み頂きありがとうございます。
当ブログは本日より、A K I R A ‘S B L O G I N MY L I F Eとリ・ネームの上、ヘッダーデザインを一新しました。昨年7月にスタートした当ブログは、私が一昨年に経験した大病から心身共に立ち直る為に、友人のサポートを得て実現したものです。おかげさまで現在は体調も良く、完全回復致しました。そして私は来年2月の誕生日に還暦を迎えます。今までの人生で出会った方、支えて頂いた多くの方に感謝しつつ、これから少しづつお返しができればと考えています。生きていられる喜びを感じ、楽しい事、悲しい事は皆様と共有しながら、日々の想いを綴っていきます。生きるのが不器用な私ですが、引き続きお読み頂ければ嬉しく思います。
最後に皆様にお願いがございます。未だコメントの投稿がありません。ご意見やご感想、記事のリクエストなど、気軽にお寄せ頂きますと励みになります。コメントを投稿頂く際、メールアドレスが流出する危険はありませんが、私に直接届けたい方は、下記私のメールアドレスまでお寄せください。どうぞ宜しくお願い致します。
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次回のアップデートは、私が最も綴りたかった人をご紹介致します。
10月9日18時にお会いしましょう。
☆In My Life/ THE BEATLES(2009Remaster)
https://www.youtube.com/watch?v=YBcdt6DsLQA
2020年11月22日LIFE STYLE