奈菜ちゃん、
俺より先に逝くなんて。
いくらなんでも早すぎるよ。

2020年12月18日FRIENDS CATALOGUE, WEEKEND

大切な友人を亡くしてしまった。昨日の追悼記事で綴った大島奈菜子さんのことである。彼女は、私が独立前に勤務した会社で机を並べて働いた元同僚。私よりも2歳若い57歳でこの世を去ってしまった。今日は追悼記事で書き残した彼女への想いを綴らせていただきたい。

思い起こせば昨年の9月、私が彼女にメールを送り、今年の1月に、ブログで彼女を紹介させていただいた。実はその時、がんの治療で闘病していた事を本人から聞かされていた。その後2月には容態が悪化して勤務先を退社。治療に専念していた彼女だが、8月には緊急入院。そして11月の中旬、彼女が亡くなる6日前に交わしたメールが最後になってしまった。その時、彼女から頂いたメールには、私のブログに掲載した、ハロウィンの記事への感想を寄せてくれたものだった。「元気が出てきました、来年が楽しみです」と記述されていた。彼女は我慢強い性格。これまでに交わしたメールにも、愚痴をこぼしたものは一切見当たらず。元より、自分の周りの人にも負担をかけたくないと、自身の病状すら他人に話さずにしていた。そんな健気な彼女を励まそうと、私も一昨年に患った大病の後遺症を無くす努力をしていますと打ち明けていた矢先の訃報であった。

11月の中旬、彼女から頂いた最後のメールには、抗がん剤治療を一時中止して緩和ケアを行なっていますと記されていた。緩和ケアとは、精神的な苦痛を含めたがんの症状を和らげるものであり、本人やご家族が、より前向きになれるように、生命の活力を高める事を目指したプログラムである。今だから言うが、この時の彼女は、呼吸も満足にできない状態と私に伝えてきた時期であった。あくまでも推測ではあるが、この時既に彼女の病状は相当に悪化していたのだろう。彼女が緊急入院した8月13日の朝、私が偶々送ったメールに対して、一抹の不安と共に謝意を示してくれた事も忘れられない思い出になってしまった。

今思えば、彼女は最期の時が近づいている事を察知していたのかもしれない。病気と向き合い、生きる希望を持ち続けた彼女の心意気は、死も辞さない強い意志で治療に臨んでいたに違いない。その彼女が年の瀬を待たずに逝ってしまうなど予想もしていなかった。彼女に寄り添い続けたご主人とご家族の心中察するに余りある。苦楽を共にした友人の死は切なく堪え難い。そして何よりも、彼女自身も無念と思ったであろう。今更ではあるが、せめても年内は、ご主人と穏やかに過ごしていただきたかった。
奈菜子さん、長い間お疲れ様でした。私は貴女と共に仕事ができて幸せでした。

☆For No One/Paul McCartney
ポール・マッカートニーファンの彼女に手向ける。
https://www.youtube.com/watch?v=OsITn49Ybw0

2020年12月18日FRIENDS CATALOGUE, WEEKEND